Chelsea Factory

Chelsea Factory
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木曜日, 12月 26, 2013

12月26日 対Swansea (Home) 1-0

12月26日 Boxing Day 対 Swansea (Home) 1-0

一生懸命皆で攻めまくっても、決まったのはHazardの個人技による1点だけと言うのは、情けない。

しかし、勝てば、何でもいいんだ。





試合後のモリーニョは、決定機に決められない、FWの得点力不足を嘆くと、壊れたレコードのよう、と言われるのを避けて、今日は相手のキーパーが素晴らしかった、と。

まあ、それ程すばらしかったわけでもなくて、やっぱり、決めるべき時に決められないだけだと、思う。
エトーさんは完全にトーレスになってしまった。


とは言え、Festive Seasonで出しは、2戦1勝1分、まあ、悪くないというか、これからの2戦の結果で今シーズンの行方の想像がつく。

火曜日, 12月 24, 2013

12月23日 対Arsenal (Away) 0-0

年末・年始Festiveシーズン 4連戦の緒戦は対アーセナル。
(12月23日、26日、29日、1月1日、これはサッカー的には連戦だろう。)

負けたら嫌だなあと思っていたが、Chelseaはアウェイで引分けることによって、アーセナルよりもタイトル挑戦者に相応しいことを証明して見せた。

特に前半は完全にChelseaペース、アーセナルはボールこそ回すが、くるくる回すだけで、全く危機を作り出せず、On Targetゼロ、ゼロ!。 Chelseaの方が何度も決定的なチャンスをつくり出した。 特にランパードのバーに当てたシュートは悔しかった。
後半も終わり際になって、少しアーセナルもチャンスを作ったが、勝者に値したのはChelseaであって、逆の結果になったらそれはあまりに不運が過ぎる。

ここで分けても、勝ち点差は2、ホームで勝てば充分逆転でき、何よりもメンタルで優位に立てる、と計算したモリーニョ、後半84分でトーレスに代えてダビド。

プレイヤー、ファン、そして相手チームにこの試合は引分けにします、と意図を明確にして、その通り引分けにしたモリーニョ、勝者並みの価値があった。

(半チェルシーストーリー、非チェルシーストーリーをいくつか用意しているが、この年末年始使う機会がないと、いいなあ。)

日曜日, 12月 22, 2013

クビ、Sacked、Fired.

Festive シーズンに入ったと言うのに、今一試合振りがスッキリせず、観戦記を書き込む気がしないでいると、Spursのアンドレ・ビラス・ボアス、通称AVBがクビになった。

昔、ニューヨークにいた頃、良く’You can't fire me, I quit' (クビにはならない、辞めてやる)という言葉が流行った。
イギリスではFireではなくSackと言う。
プレミアでは余程人が良いのでない限り、自分から辞めることはない。 自分から辞めたら一文にもならないが、クビになったら、残りの契約期間分の給与が支払われるからだ。

AVBは一昨年、Chelseaをクビになって、後任にDi Matteoが就任したが、そのDi MatteoはChmpion LeagueとFAカップを勝ったものの、昨年任期途中で成績不振を理由にクビになった。 Di Matteoはその後特に職を探している様子がない。
何でも、今でもChelseaは毎週£40千(年収3億円以上)を支払っているとかで、他の職につくと、それがなくなるか、減額されるからだそうだ。

AVBがChelseaをクビになったのは、成績不振、主力選手との軋轢が理由と言われ、特にFrank Lampardをベンチに下げたことが、多くの選手の反感を買った、と言われた。
成績不振もあったが、基本的には人事操縦が下手(Man Management)で、チームをまとめられなかったとの評価だった。 実際、試合後の記者会見等でもパラノイアのように意味なく挑戦的だったり、人間性に?がつくと言うか、まだ若くて未熟と言うのが一般的な受け止めだったと思う。

AVBはモリーニョの下で7年間一緒に仕事をして、ポルトの監督になり無敗でリーグ優勝、最年少でヨーロッパカップを勝つという快挙を成し遂げており、このままでは終われない、プレミアでもう一度戦いたいと昨年Spursの監督になった。 Redknapがポンコツを寄せ集めて4位になりChelseaがC/Lで優勝しなければ、昨年C/L出場できる筈だったチームに乗り込み、昨年は5位。 Spursとしてはまずまずとも言えるが、前任者にとっては腹立たしいところ。
最近のSpurs躍進の立役者だったBaleを史上最高の£87百万でレアルに売った代りに、今季は総額£107百万をかけて7人の強力補強で、タイトルにチャレンジするという触れ込みだった。
しかし、蓋をあけるとこの補強が全く機能せず、AVB自身がこの7人は自分が選んだ補強じゃない、と言い出したりして不協和音がでてきたところで、Man Cityに6-0とやりたい放題やれら、先週末はLiverpoolにホームで屈辱的な5-0で敗北、これが引き金になってクビにされた。

Liverpool戦の前、Daily Mailの記者二人を名指しでAVBに個人攻撃して、無用なプレッシャーをかけていると非難、みんなの見ている前やりあうという前代未聞の記者会見(前代未聞でもないかな)をやった時点で、あれ、AVBのパラノイアが治っていなかった、と先が長くないことを予感させた。
Daily Mailの記者はそれぞれ、”補強失敗はフロントのせい、失点は選手のせい、自分のせいは何もないAVB"とか、”今は高額でトレードっされて各地に散っている当時のポルトなら、誰が監督でも無敗優勝できた”とかの批判記事を書いていた。

AVB解任後、名指しで非難された一人は、Baleのトレードが何を意味するか理解できなかったAVBは、ケセラセラの映画知りすぎた男(A man who knew too much)になぞらえて知らなさ過ぎた男(A man who knew too little)と揶揄するような記事を載せている。
何でも、Man City戦での大敗の前の時点で、Spursのフロントの中でAVBを支持していたのは既に一人だけで、解任は時間の問題だった、とか。
しかし、AVBが未熟で、人間的に成熟する必要があることは事前に充分わかっていた筈で、それを踏まえて監督に招いたということは、それなりにフロントも我慢すべきなのではないか、と第三者としては思う。 だって、成績不振で解任された後、そのチーム(Chelsea)はチャンピオンリーグで優勝し、FAカップを勝ったんだよ。如何に監督が問題だったか明らかじゃない。


因みに、最後にAVBに引導を渡す結果になった、LiverpoolのBrendan RodgersはReadingの出身だが、2004年にモリーニョの下でアカデミーの監督になって、コーチ業を始め、その後リザーブの監督に昇格、数年前にChelseaを辞めて、Swanseaの監督に就任、チャンピオンシップのSwanseaをプレミアに昇格させた後、将来を嘱望される若手監督の代表格としてLivarpoolに迎え入れられた監督。
モリーニョ直系がAVBに引導を渡したと言うのが何とも感慨深い。  (続く)
                          

火曜日, 12月 03, 2013

Festiveシーズン突入!

11月24日 対West Ham (Away) 0-3 完勝


試合は完勝、Lampard久しぶりの2得点。
地下鉄事故で訳の分からないEast Londonを代替バスで延々引きずり回されて14分遅刻。
ネット裏の最前列で座ると首だけがピッチの上に出る席。
前半、チェックのニコリともしない真剣な表情が大変印象的だった。
しかし、後半絶好の場所で是非得点シーンを撮ろうと思って構えたら、そこにあったボールが中央に戻っていって、帰ってこない。
カメラを仕舞うと、今度は急にチェルシーのカウンターがゴールに迫る。
目の前でLampardが得点したのに、喜ぶのに忙しく、カメラのことは忘れていた。
慌ててカメラを取り出したが、緊張してか、うまくとれない。 と言うわけで結局まともな写真は一枚も撮れなかった。

11月26日 対 Basel (Away) 1-0 完敗
夜中に再放送を見たが、最悪の試合。
こんな悪いChelseaは記憶にない。
相手がOnTarget 11、Chelsea 0では引分けたら、相手に申訳ないだろう。
しかし、なんでこんなことが起こるのだろう。 メンバーは変ってないのに。
さすがにOscarに連戦の疲れの影響が、LampardはWest Ham戦では恐る恐る前へ行っている感があったが、ここでは前へ出過ぎ。
後ろ目から飛び込んでこそ、生きる。 Mataとは違う。

11月30日 Southampton (Home) 3-1 完勝?
Chelseaの最速失点の記録は、2004年モリーニョ就任初年の8月James Beattieが得点した12.5秒だが、それに劣らない13秒で失点してしまった。
相手のキックオフからボールを奪って、エシアンがチェクにバックパス、これが相手FWとチェクの真ん中、FWよりに落ちて、見事に決められた。
しかし、勝つ予定の試合で、勝つためには得点することが絶対必要なのだから、焦らなければ必ず、少なくとも追いつくことはできる、一旦追いつくと後は堰を切っように追加点が生まれる筈と思って安心していた。  少し時間はかかったが、後半追いつき、逆転、終了間際にBaのダメ押しで結果は、まあ、上々、と言っていいのかな。
何度もチャンスがあったのにTorres以下が決められず、同点、逆転を決めたのはセンターハーフのCahillとTerryと言うのは何と評価していいのかなあ。
Oscarが足首の故障から42分でLampardと交代、それからボールが少しずつ回るようになった気がする。 Oscarは休み時ではないか。
70分過ぎ2-1の時点で、モリーニョがTerry,Cahillに指示を出して、TerryはLampardにも伝えていたが、あれはもういい、上がるな、守りに専念しろと言う指示だったのだと思う。 その
後MikelがTorresに交代して、守ると言う意識が明確になった。 誰も前では助けてくれないので、Ramiresが相手DFに絡まれて孤軍奮闘から振り切ってクロス、それを飛び込んだBaが押し込んで、試合は決まった。 そばのおばさんは帰り際に、心臓を抑えて、一時はどうなうなることかとどきどきしたわ、とジェスチャーしてみせてくれた。

インターナショナルで試合がなかったり、うつ病状態や怠け癖で書き込みが全然できず、毎日チェックしてくれている、少数の皆さん、スミマセン。
小ネタはいくらでもあるので、もう少しマメに生きて行くよう心がけます。

それにしても、12月は9試合、それが11月30日と1月1日のSouthampton、Away & Homeにはさまれているから、32日間で11試合だ。 クリスマスや正月の時期をFestiveシーズンと言うが、いよいよ12月の正念場到来。 例年この時期を生き抜いたものがチャンピオンレースに残れる。

土曜日, 11月 09, 2013

11月9日 対West Bromwich Albion (Home)

ひどい試合だった。


前半モリーニョは、隙を狙っていたんだと言うけれど、外でボールを回すばかり。
殆どシュートに持ち込めない。
前半終わり際にリードしたのもつかの間、それまで寝ていたWBAに後半比較的早い時間帯に追いつかれ、7分後には逆転されてしまう。
初めから相手の得点能力はShane LongしかないとわかっているのにそのLongに得点されるとは情けない。 更に、ファウル絡みの不運なジャッジがあったとは言え、そんなことは常にあり得ること。それで元スパーズに得点させてはいけない。
ロスタイム、微妙なPK判定で引分けに持ち込んだとは言え、ホームの分けは負けに等しい。
ただ、まあ、去年ならカウンターで1-3にされていたところ、兎に角追いついたのだから、モリーニョ・マジックなのかな。

金曜日, 11月 08, 2013

11月6日 チャンピオンズリーグ 対Schalke (Home) 3-0


週中のヨーロッパ・カップ戦、快勝にも拘わらず、書き込みが遅れて申し訳ありません。

前週のニューキャッスルとの史上最低の試合(モリーニョ曰く)、でメンバーに大鉈が振るわれた。
粛清されたのが、ダビド・ルイズ、アッシュレイ・コール、ランパード、アザール、マタ、トーレスの6人。
代わって入ったのが、テリー、アズプリクエタ、ジョン・オビ・ミケル、シャルラ、ウィラン、にエトー。
もっとも、トーレスは練習中の怪我で、アザールは不行跡に対するお仕置き、と。 ルイズとテリーはローテーションで、コールは時々休ませて若手を起用したいという意向があるみたいだから、実質的に粛清されたのは、ランパードとマタの二人と言うことになる。 まあ、ランパードも今年は時々休んでということになっているから、一番辛い立場はマタかなあ。
コールの後に座る筈のバートランドが軽い怪我でベンチ外というのは、せっかくのチャンスなのに、バートランド君残念。 もっとも、モーリニョはクエタを左で使いたいという意向をもっているみたいだから、 こちらも微妙。

試合は立ち上がりChelseaが攻め上がるも、勢いと悲壮感が空回りして、中盤でボールを取られる。
これが4分ぐらいから10分ぐらいまで続いて、Schalkeのカウンターにタジタジと一方的にやられる展開。 相手がManCityだったら8分で3-0になっていたところ。
なんとか、Chelseaペースになって、ポゼッションでは圧倒し始めるが、シャルラの惜しいフリーキック以外はただひたすら自陣でボールを回すだけ。 まさか引分け狙いじゃないだろう、とイライラ。

30分過ぎ相手キーパーのゴールキックが突っ込んできたエトーさんの足にあたって、気がつけばゴールの中へコロコロ。 (当たった瞬間はよそ見していた。 テレビもテリーの顔かなんかを移していて、次の瞬間、歓声の中ゴールへ転がっていく、ボールが写っていた。)
ManCityでジョン・ハートを苛めたトーレス、カーディフ戦ではエトーさんはキーパーチャージだったと言われたが、今回はルール的には文句ない。 アーセナル戦ではクエタがキーパーの鼻を明かし、エトーさんは二回目。 今年はよくよく相手キーパーに助けられる。
その後は、もうダラダラとChelseaの一方的な試合運び。 一度チェクのスーパーセーブがあったが、それ以外は殆どSchalkeはチャンスを作れず。
Chelseaはカウンターでウィランが抜け出して、右だ!右、エトーさんだ! 打て打てエトー、、、打った、決まった、2-0。

80分過ぎには、出てきたばかりのランパードがやはり出てきたばかりのBaにループパス、ダイレクトでBaが決めて、Icing On The Cakeの3-0。

前半強いと言う感じのしなかったChelseaだが、後半は実力差を見せ付けた。

ところで、お仕置きされたHazard君、週末昔のチームの試合を許可を貰ってパリに見に行ったところが、夜中馬鹿騒ぎをして、翌朝のユーロスターに乗り遅れ月曜日の練習に無断欠席でお仕置きかと思ったら、 夜中馬鹿騒ぎしたんじゃなくて、朝一で駅へ行ったらパスポートを持ってなくて、電車に乗れなかったんだって。  ダッグアウトの後ろの席で真面目な顔して試合を見ていた。 ベルギーとフランスの行き来にパスポートは問題にならないけれど、イギリスはヨーロッパじゃないんだよ。

非チェルシーストーリ


ロック界の伊達男、Bryan Ferryのコンサートに行った。
前半はフルバンドをバックにジャズっぽいステージ、後半はロキシーミュージックのオンパレード。

当然歳は少し重ねたけれど、貴公子の面目躍如のお洒落なステージ。
Dylanの曲を4曲もやったのには驚いたが、帰って調べてみたら、07年にDylanesqueというカバーアルバムを出していた。(知らなかった。)
でも、Don't Think Twiceや最後にやったHard Rains Gonna Fallはそのアルバムにも入ってないし、結構思いいれがあるんだね。

ところで途中でBryan Ferryが弾いていた、今は倒産したWurlitzer社の電気ピアノ(電子ピアノではない)、今度日本からロンドンのフラットに持って来るつもりでいるんだ。

水曜日, 10月 30, 2013

£10エンターテイメント

10月29日 キャピタルカップ 4回戦 Arsenal Away 0-2


いかにナビスコカップの友達のキャピタルカップとは言え、早起きしないとチケットはとれないだろうと思っていたが、お昼頃に電話してもチケットが取れた。 おや、皆敬遠しているのかなと思ったら、普通は多くても3,000人のアウェイ席が、今回は9,000人という大判振る舞い。 しかも、入場料は£10、エミレーツはプレミアの中でチケットが一番高いと指摘されていたので、こんなところで辻褄を合わせていたようだ。 まあ、いかにArsenalとは言え、カップ戦に6万人集めるのは辛いということもあるだろうが。


とは言え、チェルシーは前試合からメンバーを全員変えてのぞむだろうが、アーセナルはかなり本気でやって来るという噂で、そうなると、結果はやばいかも、見るに忍びないかもしれないなあ、と不安を抱えて行ったところ、いやあ、面白かった。
10ポンドで得られるエンターテイメントとして、最高。 これで10ポンドは安い。
でもさあ、Arsenalファンは10ポンド出して、Miseryを買ったみたいで、可哀想。
うふふ。

平日の夜の試合は土曜や日曜と違い、キックオフ直前に人が殺到するので、入り口が混みあう。
スタジアムには5分前くらいに着いたが、まずプログラムが£3.50と、ふざけんじゃないよ、£3.0じゃないのか、おまけにお釣りの50pが切れたと。
メンドークサイから50pぐらいやるよ。 (と言うわけで、正確には£10のエンターテイメントではなく£14のエンターテイメントでした。)
キックオフになっているのに、全然列が前に進まない。 その雑踏の中でせっかく買ったプログラムは落としてしまうし(どっちみちアーセナルのプログラムなんていらねーよ)、20分遅れぐらいでようやく場内に入れた。


Arsenalの方が僅かにボールは支配するが、ペナルティエリアに侵入するのはチェルシーの方で、アーセナルの攻めにはエッジがないんだよ、エッジが、ウンウン。 エシアンじゃないよ、エッジだよ。

と、言うわけで27分ぐらい、一昨日John HartがやったことをFabianskiがやってしまった。 Johin Hartの場合は飛び出してきてバックッパスのヘッダが頭上を超えて行ったのだが、今回はバックパスのヘッダに飛び出しをためらって、遅れたところにアズプリクエタが飛び込んで、ボールをネットの方へ転がした。 しかし、fullBackのアズプリクエタが何でこんな前にいたのかは、誰にも分からない。

アーセアンルはウィルシャーやラムゼイのレギュラー出してしたが、ゲームメーカーはロシツキー。このロシツキー結構上手で何故か好感を持っているのだが、一線級に入るとちょっと足りない。
若いチェルシー相手でもやはり足りない。所詮はBクラスのチームのスタープレイヤーというのが妥当なところなのだろう。


今はチェルシーBチームにいるけれど、本来Aチーム所属のMata、後半ゴール前でシュートコースが空いたので「撃て!」と叫んだのに一瞬ためらってシュートするタイミングを失ってしまった。 数分後、ゴールライン奥深く進入したウィランから戻ってきたボールに「撃て!」と叫んだのと、撃ったのが殆ど同時だった。 私の指示に従っていれば間違いないんだよね。 見事なシュート。これで試合は決まった。アーセナルはエジルやジルーといった先発選手も出してきたが、所詮チェルシーBチームの敵ではない。 一方、チェルシーはマタ、アスプリクエタとMorinhoの元でやや苦労している2選手の活躍で完勝。

これでMourinhoはWngerと9回対戦して一度も負けてない。


こんな結果は正直予想していなかったので、Rou LeedやNico或いは友達のプロデューサー、マジッシャンRichard Thompsonについてでも書こうかなと少し心積もりしていたので、写真だけ載っけておく。
英国BBCでは夜の7時と10時のニュースで1分半から2分ぐらい映像をを交えて報道していた。
さすがに、BBCは民度が高いなあと思った。

改めて
Rou Leed

Rest in Peace

YOu have been our torch for the Future.

月曜日, 10月 28, 2013

10月27日 Present From John Hart

10月27日 対Man City (Home) 2-1


久しぶりのチェルシーらしい試合だった。
去年ならこんな試合は期待できななかった。


試合前、ChesleaがMan Cityに勝てる気がしなかった。 どう考えてもMan Cityの方が、Player to Playerで比較したら、戦力が上だ。 ChelseaのThree Amigoesが素晴らしいと言っても、Mata、Oscar、Hazardと Agurero、Silva、Yaya Toureの3人を比較すると現時点では重量感が違い過ぎる。 違うモノだとは言わないが、Chelseaは思春期でMan Cityは完成した大人ぐらいの差がある。 順当な予想以外しない面白みのないBBC, Marc Lawrensenの予想ですらホームのChelseaが1-2で負けることになっている。 大体、昨シーズン監督がManciniでなかったらMan Cityがリーグチャンピオンだった筈というのが、私の持論。

でも、フットボールは何が起こるかわからない、と言う期待は勿論あった。

出だし、メルセデス相手にスズキのようなChelseaが結構チャンスを作る。 トーレスが良く走り決定機も、でも前試合Schalke戦で覚醒したと期待するのは無理か、決められそうで決められない、何時ものトーレスも顔を覗かせる。
結局点がとれないまま、少し試合が落ち着いた30分過ぎ右サイドでトーレスが粘りに粘って、その上でゴールラインまで競上がってセンタリングが、見事にシャルラの足元へ、イージータップインで先制。 実質トーレスの得点と、トーレストーレスの大合唱。

前半はこの一点を守って、1-0。 しかし、後半開始3分後、スタジアムは突然サイレントのスロー・ムービーになってしまった。
後ろからのロングパスから、二人のセンターバックの真ん中を通って、静かに左サイドにアグエロが抜け出す。 角度のないところからセンタリングと思ったら見事なシュートがネットに突き刺さってしまった。 前半トーレスのシュートはバーを叩いたが、アグエロは静かにネットへ。 チェクは未だシュートが来ないと思い込んでいたのか、殆ど動かず。
この後は一進一退、時間帯によっては何時か取られそうという時間帯もあったが、Man Cityの攻めにさほど迫力もなく、スタジアム中が引分けかな、というムード。 まあホームとは言え、ManCity相手に負けなければいいかな、という感じ。

しかし、モリーニョだけは違っていた。 65分にランパードとシャルラを下げて、ミケルとウィランを出したのは、ランパードがカードを既に貰っていたことと、攻めと守りによりメリハリをつけるため、そして83分のHazardに代えてのEtoは未だ未だ点をとりに行くと言う意思表示。 86分に多少痛めたとは言え、アグエロを引っ込めたManCityとは気概が違う。
しかし、90分流石のモーリニョマジックも通用しないかったかなあ、と思い始めたところ、テリーの大きなクリアーがManCityの選手に当たって、Chelsea陣内へ戻ってきたのを、ウィランが前線へ、と言うより、単にウィラン蹴りだしたという感じ。 ManCity最後列のDFが大きくバウンドするボールをゴールに向いてどう処理しようかと考えていると、後ろからトーレスが突っ込んできたような気がしたので、キーパーへヘッドでバックパスと思ったら、突っ込んできたJohn Hartの頭を越えて、転々とゴール前へ、走り続けてきたトーレスがそのままでは右横に外れるボールの軌道修正して、決勝点。
ロスタイムに決勝点をプレゼントしてもらった。

まあ、こんなこともあるんだよなあ。

点が入った瞬間、モウリーニョは何を思ったか、ManCityとの間にある客席へ直行、観客にもみくちゃになった。
この行為に対しては挑発的だとして批判も。 モリーニョは気分を害したら申し訳ないと謝っていたが、そこには息子がいて息子と一緒に祝福したかった、と。
そう言えば、Cardiff戦では、相手キーパーのプレーについて、帰ったら一番でキーパーをしている息子にああゆうプレーはしてはいけないと話したという、あの息子だ。
写真では小柄な金髪の少年(青年?)のようだが、周りのファンが勘違いして大騒ぎ、特にあづき色のT-シャツを着たあほのイギリス人にヘッドロックされて、目的は果たせず引返してきたようだ。

非チェルシー・ストーリー
ここで、書くのには相応しくないような気がするのですが、「音楽家ルー・リードさん死去」と言うニュースがありました。
今年の3月頃から肝臓ガンの治療が思わしくなかったとありました。
「音楽家」という肩書きはどうも馴染めない。 例えば「ロックンローラーのルーリード」とか「ワンコードロッカーのルーリード」とか或いは「Andy Wahallの盟友ルー・リード Wont't you come home!」とか書けないものだろうか。 時代性を感じさせる意味では「前衛ロッカーのルー・リード」とか言うのがしっくりする。
80年代の初めから中盤突然活動が活発になる時期があって、1年に一回はNYで4日ぐらいの連続ライブを行っていた(Bottom Line)のに2年続けて行ったことがある。 サンフランシスコにもツアーで来た。 若いラッパーに取り上げらられたりもしていた。 One Codeで延々と続くロックンロールは味があるというか、退屈そのものでもあった。  フィビー・スノウのレコーディングを担当するような腕利きのミュージシャンを従えながら、ソロギターのパートなんて殆どないまま淡々と演奏していた。
70年代の一時期、私が帽子に拘ったのはRouの影響でした。 
71歳。
Rest In Peace.

木曜日, 10月 24, 2013

10月19日 Cardiff (Home) 4-1、22日Schalke (Away) 0-3

風邪と怠け癖と適当な写真がないせいで、また書き込みがひどく遅れてしまいました。

調子は確実にに上向きなので(Chelseaもそうですが、風邪からの回復振りです)、気を取り直してマメニュースをいくつか。

開始5分の失点、前半32分の同点弾、いずれもコメディのよう。
翌日のTVでディオン・ダブリン(Ex Villa etc)が、ダヴィッドの適切なポジションはどこか、と聞かれてニコニコと「Anywhere only far from the defence line」(とにかくディフェンスラインからできるだけ遠い、どこでも)と答えていた。 足技は上手だし、回りも見えるしセンスがあるが、ディフェンスに置くのは危険が一杯、と。 そういう失点だった。

チェルシーの同点シュートは適法だったか、という質問に、勿論、何の問題もない、とニコニコ。 すると現役時代ニューキャッスル戦でシェア・ギブンがキックをしようと地面に置いたボールをキーパーの後ろからダブリンが蹴りだしてゴールのビデオが流れた。 確かにダブリンはゴールを認めたレフェリーの判断を支持するわけだ。

ダブリンのプレーは薄っすら覚えているような気がする。 あの時、ダブリンは少し痛んでゴールラインの後ろにいて、そこからキーパーのところに戻ってきたのだ。 たしかオフサイドじゃないか、という議論があったような気がする。 ただ、キーパーが地面にボールを置いて手を離していたのだから、キーパーチャージにはならなかったように思う。

ただ、Chelseaの得点は本来キーパーチャージでレフェリーの誤審という声のほうが少し優勢。
キーパがボールを地面についてバウンドさせたところを横からエトーが足を出してボールをかっぱらったのだが、ルールブックにはキーパーがボールを自分で上に投げて受取ったり、地面にバウンドさせる行為はキーパーがボールをコントロールしており、チャージしてはならないことになっているそうだ。 テンまりし損ねて横にはじけた場合は別だけど、あれは明らかにエトーさんが蹴りだしていたからねえ。

開始10分でゴールをプレゼントされた、Cardiff、いくらなんでも残り80分を守りだけで逃げ切ると言うのは(絶好調のChelseaでない限り)無理というもの。 にも拘わらず、リードして以降、一貫して時間潰しで逃げ込む姿勢。 同点になっても時間潰しは変らない。
だから、一旦堰が切れるともう止め様がないが、それはモリーニョ劇場の本格的な始まりだった。

後半、簡単に点が入らないと見ると、
58分 Mata → Oscar
秘蔵っ子のOscar投入、それだけでは足りない、皆とにかく点を獲るんだ!
63分 Bertland → Torress
DFを一人減らしても、FW Torressを投入。

66分 Eto 得点 2-1 効果覿面、Eto初ゴール
リードしたから、DFラインを4人に戻す。
68分 Eto → Asplliqueta

69分レフェリーがイヴァノビッチがスローインに時間をかけているのを注意されているのを見て突然激昂。
今まで、Cardiffが散散時間稼ぎしてきたのにろくな注意もしないで、Ivanovicがたった2秒もたついたからと言って注意するとはどういうことだ!!!
タッチラインから退場、スタンドに移るよう指示される。 (選手もファンもモリーニョが如何に各選手のこと、チームのことを真剣に捉えているかに感動。)

77分 Oscar 3-1 スタンドでファンに混じって一際喜ぶモリーニョ。 なんせ後半投入の秘蔵っ子が得点したのだがら。
82分 Hazard 4-1 まあ、おまけ。 Icing on the cake.

10月22日 チャンピオンリーグ グループステージ 
  対Schalke(Away) 0-3
好調な相手に苦戦が予想されたが完勝。
内田君良かったとは思うのだが、チェルシーにはかなわない、てか、トーレスのもう一歩でハットトリックの2得点が最大の話題という程度。

で、何で、古い映画シマロンかって? なんとなく。
恐らく中学生の頃に見たのだと思うが、誰と言ったのかは良く覚えていない。  未だ一人で映画を見に行くようなことは許されていなかったが、中学生になると大人料金になったせいか、父も兄姉もあまり連れて行ってくれなくなった。 次兄がグレン・フォードと子供の頃奈良公園で会ったと言って、グレン・フォードのファンだったから、兄と一緒だったのだろうな。
シマロンはとにかく一箇所に定住できない男で、家族の苦労も省みず、開拓地、フロントラインへ行ってしまう。 自分が将来シマロンのように自由に生きることなんてないだろうな、とまだまだ思春期だったはずの自分はスケール小さく思ったものだが、、、、、

日曜日, 10月 13, 2013

Mom, who outlived two world wars and reached to cyber age.


9月29日、母の満100歳のお誕生会のために日本に帰っていたので、Capital Cupのスィンドン戦は見逃し、スパーズ、ブカレスト戦は日本でTV観戦、Norwich戦は帰英翌日、こちらでテレビ観戦となった。
この間の成績は悪くなかったものの、今一ブログを更新する気になれないまま、数日経ってしまった。

スパーズ戦の引分けはAwayということを考慮すれば、結果は悪くなかったと思うが、ブカレスト戦、Norwich戦はスコアが示すほどすっきりした勝ち方ではなかった。
Norwich戦については、試合後モリーニョが、
「後半開始直後にBaが絶好のチャンスを逃した。 これはまずい、良くない兆候だと危機を感じたので、(病み上がりで攻撃的な)Hazardにアップするように指示した。 まだ勝ち越していたけれど、危機を感じたから。」と語り、翌日のある新聞では「モリーニョの(危機に対する)鼻がチェルシーを救う」と書かれていた。
確かに、後半同点に追いつかれ、交代で入った二人がそれぞれ得点して、3-1だから、モリーニョさすが、と言うことになる。


しかし、前半から何度もチャンスを作りながら1点どまり、後半も押してるとは言え決められない状態では、スタジアムの全てのアゥエイファン、テレビの前の全てチェルシーファンは、その内「来るぞ来るぞ」と不安を覚え、失点したとたんに、「ああ、やっぱり」「だから言っただろう、決める時に決めないと」と叫んだいたに違いない。
言い換えたら、素人でも予想できるような試合展開で、モリーニョはその準備をしていたに過ぎない。

モウリーニョの采配は良く褒められるが、難しいことは何もしないのがモウリーニョの好かれるところで、偉いところだと思う。 素人ファンでも予想できるような、或いは理解できる采配であり、それゆえ、プレイヤー全員の意思統一が図りやすく、プレイヤーがランパードの指示のもと一つになって、戦うことができ、サポーターの心も一つになると言うことだ。
訳のわからない指示や交代で自己主張しようとする(俺はお前らとは違う、と)AVBやベニテスとの違いはここにある。

その上で、結果を出して、ほら俺のいうことを信じていれば間違いはないんだ、と言うのが、モリーニョマジック。

Mataはスィンドン戦で名誉回復したようで、ここへ来て続けて起用されている。
しかし、いま一つキレがみられない、というか、Mataの持ち味は安定したプレイであって、切れきれのテクを披露するようなプレイヤーではないからだと思う。 そう言う意味では、ロッベンやダファーより、或いはジョーコールより、ランパードに近いのではないか。
途中交代で得点したHazardとWilanはともに切れきれのテクで試合を変える力を持っている。 頼もしい限りだが、彼らが一試合安定したプレイを見せられるかと言うと、疑問。 素晴らしいプレイをした翌試合、徹底的にマークされて何もできない、というようなことが結構、起こり得る。
起用方法は結構難しい。


モーリーニョ体制で行き場を失っているのが、アズプリクエタだ。 イヴァノヴィッチの最近の貢献ぶりを見れば、仕方ない気もするが昨シーズンは一貫して左サイドを定位置として確保していたことを考えると、かわいそうな気もする。

ところで、母が100歳になった。 二つの世界大戦を乗り越え、高度成長時代を生き抜いてきた。
4人の子供がいて、その配偶者が5人(二回結婚した奴がいる)、孫が6人(2人づつに一組子無しがいる)だが、ひ孫は3人しかいない。
孫がいる3家族のうち、一組は2人とも2回結婚して双方合わせて3人の子供がいるが、一組は2人とも未婚、もう一組は一人だけ既婚だが子供はいない。
子供は平等に育てたつもりでも、4人の子供の家族構成が見事にバラバラに統一されている。
母は自由にのびのびと生きるように子供に進めていたから、かな。

日曜日, 9月 22, 2013

What's the MATA?


Mataはコンフェデレーションカップに出場していた影響で、プレシーズンのチェルシーへの復帰が遅れ、コンディションが中々上がらないと言われていたが、シーズン開幕後Aston Vilaa戦、Everton戦で先発したものの早めに交代、プレー振りも冴えなかった。
とは言え、今一っ冴えないのは実戦で起用しないからで、モリーニョはMataを積極的に起用すべきだ、と今年から積極的に評論家活動をしているジャーメイン・レッドナップ(元イングランド代表、ハリーレッドナップの息子、ランパードの従兄弟)が、数日前のデーリー・メールで大きく書いた。 Mataが出場した試合としていない試合のデータを集計しての、記事だった。

Fulham戦ではダビド・ルイスとMataを先発だけでなく、ベンチからも外した。 ダビドは、センターハーフはテリー、ケイヒル、ダビドの3人使いまわしで今週はお休みということで、皆納得するが、Mataをベンチからも外したのは、多くの人にとって意外だった。 
試合直後のインタビューでこの点を聞かれて、モーリニョはOscarの方が良く走り、クリエイティビティもある、トップ下10番はOscarが相応しい、とコメント。
Mataはどこを改善(improve)すべきなのかと聞かれて、ムラを無くすことと(Consistency)とボールを持ってない時にもっとプレイに参加すること、と。 勿論才能はあるのだから、努力すれば期待に応えてくれる筈とも。

更に、聞き手にジャーメイン、フリットを含めたSkyの特別インタビューではモリーニョ節炸裂。 アナウンサーがどうも長い時間ありがとうと切り上げようとするのも構わず、喋り続けた。

「あなた(ジャーメインを指して)も含めて多くの人がMataを使うべきだと言い、私もOscarとMataの両方を使いたいが、現状では10番のポジションはOscarが相応しく、Osacrを変えるわけには行かない、(従ってMataを出せない。) チェルシーの監督はジョゼ・モリーニョであって、あなたではない。 記事はたいそう参考にさせてもらったが。
Oscarの方がボールのありかに応じて、プレスもかければ、トラックバックもする。 Fulhamがlそうしたようにパーカーとシドウエルの二人がピボットMFで走り回ることができるのならそうする。(が、今のMataではそれが出来ない) どうしたらいいかと言えば、私の望むようなプレイをして欲しいのだ。  Mataにそれができない訳ではない。ただ今までのチームがMataに走り回ることを要求してこなかったのだ。 (だからMataは自分の好きなようにプレーしてきた。) それは積み重なってきたものだから、簡単には直らない。 チェルシーというチームの成長、改革(Revolution)を目指しているのであって、そのフィロソフィーを理解してほしい。

監督として最も苦労することは、如何にチームのフィロソフィーを変えていくかということなんだ。
私は、新しいチームに行って、その都度すぐに結果を出してきた。 だから今もすぐに結果を出すことを求められる。 優勝もしないで4年も5年も平和に勤められる監督達が羨ましい。 しかし、これが私なのだから、変えるわけにはいかない。
以前のチェルシーはしっかり守って、右サイド左サイドからカウンターで駆け上がるプレーで素晴らしい結果を出してきた。 私がいた当時からのスタイルだ。
今日のFulham、前のEvertonとも二列のDFラインをしっかり引いて、あらゆるスペースを消し、ボールを持って上がってきたプレイヤーにプレスをかけてきた。 アザールは一度として前を向いてボールを受けるとこは出来なかったし、ドリブルしようとすると、2人3人がかりで潰された。 今までなら、対角線の斜めロングパスで局面を切り開いたが、今はそれは私のプレイではない。 それはドログバとともにギャラタサレイに行ってしまった、 トーレスはいるけど。 
そういう状況の中で、パスを通して如何に相手の裏をとるか、これを求めている。 それが今のフィロソフィーであって、これは変らない。」

フリットが後半、シャルラを左に貼り付けたのもそういう作戦か、と質問したのに対して、
「そうだ、前の試合のインタビュでも言ったように、若い力を育てていく。そして、シャルラが今一番、後ろに抜ける動きができる。」

話した順番も細部もいい加減だが、大体こんな感じだった。
ただ、英語の聞き取り問題ではなく、ジョゼの話があまり整理されていないので、もう一つ今のフィロソフィーというのが理解出来なかったが、要は攻めだけではなく、守りにももっと貢献しろということのようだ。

このインタビューで思い出したのが、第一期モリーニョ時代のジョー・コール苛め。 もっと走って守れと言われて、いいところでゴールを決めても、レギュラー扱いはして貰えなかった。 一部にはジョーコールの良い面、将来をモーリーニョが壊してしまったという意見もある。 しかし、優勝した最初の年、バスの上で一番はしゃいでいたのが、やはり常時は使ってもらえなかったドログバとこのジョー・コールだ。そして、二人とも今もモーリニョを慕っていると聞く。
さあ、Mataはどうなる。





対Fulham (Home)


ふうぅ、、、やっと勝った。
もう二度と書き込みが出来ないのではないか、と焦ってしまったが、何とか。

前半の初め頃はFulhamもカウンターからチャンスを作っていたが、段々チェルシーのペースになって、ボールは支配するものの、相手陣内では全くスペースを見つけられず、全く得点の匂いがしない。 そのうちに、コロコロとまた失点するのではないかと気弱に不安が走る。 仕方がないから、後半は応援と言うより、ぶつぶつとひたすら文句をつぶやき続ける観戦、独り言は病気の始まり状態。
それでも52分に相手キーパーがオスカルにパスしてくれて、先制。 その後も流れるプレーからは点が入る感じがしないが、 このまま逃げ切りに入るのだろうかと思っていると、80分過ぎコーナーキックからなんとミケルが至近距離からのゴール。 ジョン・ミケル・オビ261試合目にしての初ゴール。

Fulhamは殆どチャンスらしいチャンスは作れず、結果的には2-0の余裕を持った勝利。
ミケルのゴールと言う、何時かは来るであろうがもしかしたら最後まで来ないのかもしれない、と人を不安にした歴史的なゴールのおまけもついて、そこそこご機嫌さん。
試合途中までの、統合失調症のようなぼやき独り言は、申し訳ないが気分がいい、の鼻歌に。
未来は明るい。ロンドンの空に虹がかかる。

土曜日終了時点では、暫定トップになった。
一試合多いからで、まあ、実質的には3・4位と言うところ。
試合後から翌日にかけては、モリーニョがインタビューでMataよりOscarをチームの中心にする、Mataは改善すべき点が沢山ある、と実質的にMataを干すと宣言した(ように聞こえる)ことで、騒然。 
何しろMataは過去2年続けてファンが選ぶPlayer of the Yearなのだから。

(つづく)

日曜日, 9月 15, 2013

対Everton


負けてしまった。
この2年間Awayの試合に行って負けてしまったのは初めてだ。
可愛いお姉さんを連れて行ってあげたのが、邪念が入っていけなかったのだろうか。

エトーさんがまるでトーレスだった。

ランパード、オスカル更にはトーレスを投入して勝つんだと言う意思をみせ、チームからは必死になって攻めあがる気持ちが見えたのがせめてもの救いかな。


木曜日, 9月 05, 2013

8月26日 対Man U (Away)、8月30日 Super Cup 対Byern Munic (Prague)

8月26日はMid LandをドライブしてはるばるManchesterへ、 8月30日は美しい町プラハにわざわざ行ったのに、どちらの試合も今一面白くなく、他に雑用が重なって、更新が遅れてしまった。

Manchesterには、M4から一旦M25に入って、その後はM6でバーミンガム経由約4時間。
かっては通いなれた道だが、考えてみれば8年振りくらい。久しぶりのスピードに最初は戸惑うが、すぐになれる。 中西部の草原の中のハイウエィは何時もながら気持ちがいい。 しかし、眼前に美しい緑の丘陵地帯が現れて慌ててカメラを取り出す頃には通過してしまうの繰り返し。 きれいな景色はとれなかった。

試合の方は、退屈なニルニルドロー。 Chelseaは何とCFなしの、DF4,MF6のフォーメーション。 一応シャラが必要な時はForwardの仕事をしていた。
MF6人で、中盤を支配して、ManUを窒息させようと言う作戦かと思われるが、窒息させるまでには至らなかった。 ただ、守備は安定していたのでニルニルドローということ。 
ManUのValenciaやそこらがボールを持って上がってくる分にはChelseaのDF一人で充分対処できるが、絶好調のRVPになると、3人ぐらいで守ってもシュートを打たれてしまう。
しかし、ManUで一番活躍していたのはRooneyだった。この働きぶりでRooneyはManU残留決定。 モーリーニョも諦めた。
日本の新聞にはRooneyが精彩を欠き引分けという記事があったが、一体何を見ているのだろう、というか、何も見ないでよく決め付け記事が書けるものだ。
CF不在ということは、トーレスを何と考えているんだ、と言うかトーレスのプライドは傷ついただろう。 それと、マタが嫌われている。
アウェイでの引分けは、まあ、Chelseaの方がいい結果かな。 一方、Moyesは無様な負け方でホームスタートを切るような最悪パターンは免れて、こんなものかなあ。

プラハは良いお天気で暑かった。
正午くらいにプラハに着いて、カレル橋からカフカ博物館、プラハ城観光。 何時来てもキレイな街だ。 そして街を見下ろすように建つ、決して行くきくことのできないプラハ城、私はプラハがヨーロッパの中では一番好きだ。
Edenスタジアムは、収容人数2万人と小振り。 結局このスーパーカップの位置づけがその程度なのだろう。 特に重要なカップではない。 スタジアムはホテルからトラムで一本、約30分のところにあり、便利。

試合は見事に先制して追いつかれ、延長戦、先に得点するが、最後の最後のワンプレーで追いつかれて、ペナルティシュートアウト。 5人目のルカクが外して負けてしまった。
ダビデが久しぶりに登場、悪くなかった。 後半ラミレスが退場になって、10人で一時期はリードしたのだから、まあ、良くやったと言うことになるのだろう。 PKを停められたのも責任があまり重くないルカクで、仕方ないか、と。 (この後ルカクはローンでエバートンに出されちゃったけど。)
先制したこともあって、守る時間が長く、特に延長後半はChelsea自体が逃げにはいったことから一方的に押し込まれる結果、となった。 Chelseaサイドがらは遠いほうで守っていたので何がどうなっているのか良くわからなかったら、モーリーニョがChelseaファンに対して、もっと応援してくれと叱咤激励。 ファンはモーリーニョがファンのことを忘れずに声をかけてくれたことに感動。
結果、負けちゃったが、お陰で一番先にスタジアムを出て、すぐトラムにのることが出来、帰りも楽だった。

木曜日, 8月 22, 2013

訃報 : 山口富士夫/藤圭子

非チェルシーストーリです。
60年代、70年代に青春を駆け抜けた世代の訃報です。

先日(8月14日)、山口富士夫が亡くなったという記事をネットで見つけた。 64歳だった。


ネットがなければ、きっと気がつかなかったと思う。 全国紙ではどれだけ取りあげたかわからないし、仮に取り上げてもスペースは小さかっただろう。
村八分のボーカル、チャボが94年に亡くなっていたことも今回初めて知った。 ネットではチャボの死因がオーバードウズ(薬物過剰摂取)となっていたが、ネットで身内が書いているからだろうこそで、公式メディアなら心不全とかと書く。
それはさて置き、山口富士夫(呼び捨てゴメン、ずっとそうしてきたから)は69年ごろ京都で村八分というバンドのギタリストだった。 
村八分が京都のバンドかどうか知らない、ただ、京大西部講堂でのライブが有名で、当時河原町のディスコで、この前まで富士夫がここでギターを弾いてたんだよと聞いたことがあるので、京都だと思い込んでいる。 準メジャーからアルバムを一枚出したと思うが、一般には全く受けなかった。  と、いうか何時も薬でメロメロでまともな演奏活動が出来なかったのではないか。 事実はどうか知らないがそういうイメージを振りまいたバンドのリードギター、伝説のギタリスト、が山口富士夫だった。 普通のバンドが行うようなコマーシャルなプロモーションはしなかったのではないか。  そして伝説だけが生き残った。 
80年代に横浜の方でギターを教えていると聞いたことがある。  山口富士夫がギターを教えることが出来るなんて考えられなかったし、それを習いに来る生徒が存在することはとても想像できなかった。 ヤマハの音楽教室だったのだろうか。
実際には、村八分の後も他のバンドに出たり入ったり、自分のバンドを作ったりしていたらしい。 ネットニュースでは職業:音楽家になっていた。 なんとも肩書きが奇妙だ。
直接の死因は良くわからないが、喧嘩に巻き込まれて頭を打ったのがきっかけ、と。(直接の死因は肺炎との警察発表、事件の方がニュースバリューがあったようだ。)

昨日、藤圭子(こちらも敬称略)が飛び降り自殺したと。

藤圭子も69年のデビュー、62歳だった。
藤圭子はその後に続く歌謡界のアイドルとは一線を画した69/70年怨念の象徴だった。
藤圭子自体は普通の少女だったのかもしれないが、「夢は夜開く」は当時高度成長時期に失われたもの、資本の論理に押しつぶされた青春、深夜開かない夢の代償、若者達の汗や中年男の体液が入混じった、アイコンだった。
生身の藤圭子は前川清と結婚して別れ、マネージャーと結婚して、宇多田ヒカルの母親になった。
そして、新宿のマンションから飛び降りた。

二人とも69/70年にある種のピークを極め、それから40年あまりを生きて、亡くなった。 二人とも畳の上では死ねなかった。
私は、彼等の知らないところで彼らが発信したもの受けとめ、沈潜させたまま、40年余を生き延びている。
普通ならお悔やみの言葉で締めくくるところだが、遺族の方を存じ上げているわけでもなく、誰にどうお悔やみを言ったらいいのかわからない。
そう、彼等に対して、そして自分の中で行き続けている彼らに対して、言えばいいのか。

Rest In Peace. Thanks