Chelsea Factory

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月曜日, 10月 28, 2013

10月27日 Present From John Hart

10月27日 対Man City (Home) 2-1


久しぶりのチェルシーらしい試合だった。
去年ならこんな試合は期待できななかった。


試合前、ChesleaがMan Cityに勝てる気がしなかった。 どう考えてもMan Cityの方が、Player to Playerで比較したら、戦力が上だ。 ChelseaのThree Amigoesが素晴らしいと言っても、Mata、Oscar、Hazardと Agurero、Silva、Yaya Toureの3人を比較すると現時点では重量感が違い過ぎる。 違うモノだとは言わないが、Chelseaは思春期でMan Cityは完成した大人ぐらいの差がある。 順当な予想以外しない面白みのないBBC, Marc Lawrensenの予想ですらホームのChelseaが1-2で負けることになっている。 大体、昨シーズン監督がManciniでなかったらMan Cityがリーグチャンピオンだった筈というのが、私の持論。

でも、フットボールは何が起こるかわからない、と言う期待は勿論あった。

出だし、メルセデス相手にスズキのようなChelseaが結構チャンスを作る。 トーレスが良く走り決定機も、でも前試合Schalke戦で覚醒したと期待するのは無理か、決められそうで決められない、何時ものトーレスも顔を覗かせる。
結局点がとれないまま、少し試合が落ち着いた30分過ぎ右サイドでトーレスが粘りに粘って、その上でゴールラインまで競上がってセンタリングが、見事にシャルラの足元へ、イージータップインで先制。 実質トーレスの得点と、トーレストーレスの大合唱。

前半はこの一点を守って、1-0。 しかし、後半開始3分後、スタジアムは突然サイレントのスロー・ムービーになってしまった。
後ろからのロングパスから、二人のセンターバックの真ん中を通って、静かに左サイドにアグエロが抜け出す。 角度のないところからセンタリングと思ったら見事なシュートがネットに突き刺さってしまった。 前半トーレスのシュートはバーを叩いたが、アグエロは静かにネットへ。 チェクは未だシュートが来ないと思い込んでいたのか、殆ど動かず。
この後は一進一退、時間帯によっては何時か取られそうという時間帯もあったが、Man Cityの攻めにさほど迫力もなく、スタジアム中が引分けかな、というムード。 まあホームとは言え、ManCity相手に負けなければいいかな、という感じ。

しかし、モリーニョだけは違っていた。 65分にランパードとシャルラを下げて、ミケルとウィランを出したのは、ランパードがカードを既に貰っていたことと、攻めと守りによりメリハリをつけるため、そして83分のHazardに代えてのEtoは未だ未だ点をとりに行くと言う意思表示。 86分に多少痛めたとは言え、アグエロを引っ込めたManCityとは気概が違う。
しかし、90分流石のモーリニョマジックも通用しないかったかなあ、と思い始めたところ、テリーの大きなクリアーがManCityの選手に当たって、Chelsea陣内へ戻ってきたのを、ウィランが前線へ、と言うより、単にウィラン蹴りだしたという感じ。 ManCity最後列のDFが大きくバウンドするボールをゴールに向いてどう処理しようかと考えていると、後ろからトーレスが突っ込んできたような気がしたので、キーパーへヘッドでバックパスと思ったら、突っ込んできたJohn Hartの頭を越えて、転々とゴール前へ、走り続けてきたトーレスがそのままでは右横に外れるボールの軌道修正して、決勝点。
ロスタイムに決勝点をプレゼントしてもらった。

まあ、こんなこともあるんだよなあ。

点が入った瞬間、モウリーニョは何を思ったか、ManCityとの間にある客席へ直行、観客にもみくちゃになった。
この行為に対しては挑発的だとして批判も。 モリーニョは気分を害したら申し訳ないと謝っていたが、そこには息子がいて息子と一緒に祝福したかった、と。
そう言えば、Cardiff戦では、相手キーパーのプレーについて、帰ったら一番でキーパーをしている息子にああゆうプレーはしてはいけないと話したという、あの息子だ。
写真では小柄な金髪の少年(青年?)のようだが、周りのファンが勘違いして大騒ぎ、特にあづき色のT-シャツを着たあほのイギリス人にヘッドロックされて、目的は果たせず引返してきたようだ。

非チェルシー・ストーリー
ここで、書くのには相応しくないような気がするのですが、「音楽家ルー・リードさん死去」と言うニュースがありました。
今年の3月頃から肝臓ガンの治療が思わしくなかったとありました。
「音楽家」という肩書きはどうも馴染めない。 例えば「ロックンローラーのルーリード」とか「ワンコードロッカーのルーリード」とか或いは「Andy Wahallの盟友ルー・リード Wont't you come home!」とか書けないものだろうか。 時代性を感じさせる意味では「前衛ロッカーのルー・リード」とか言うのがしっくりする。
80年代の初めから中盤突然活動が活発になる時期があって、1年に一回はNYで4日ぐらいの連続ライブを行っていた(Bottom Line)のに2年続けて行ったことがある。 サンフランシスコにもツアーで来た。 若いラッパーに取り上げらられたりもしていた。 One Codeで延々と続くロックンロールは味があるというか、退屈そのものでもあった。  フィビー・スノウのレコーディングを担当するような腕利きのミュージシャンを従えながら、ソロギターのパートなんて殆どないまま淡々と演奏していた。
70年代の一時期、私が帽子に拘ったのはRouの影響でした。 
71歳。
Rest In Peace.

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