Chelsea Factory

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木曜日, 8月 22, 2013

訃報 : 山口富士夫/藤圭子

非チェルシーストーリです。
60年代、70年代に青春を駆け抜けた世代の訃報です。

先日(8月14日)、山口富士夫が亡くなったという記事をネットで見つけた。 64歳だった。


ネットがなければ、きっと気がつかなかったと思う。 全国紙ではどれだけ取りあげたかわからないし、仮に取り上げてもスペースは小さかっただろう。
村八分のボーカル、チャボが94年に亡くなっていたことも今回初めて知った。 ネットではチャボの死因がオーバードウズ(薬物過剰摂取)となっていたが、ネットで身内が書いているからだろうこそで、公式メディアなら心不全とかと書く。
それはさて置き、山口富士夫(呼び捨てゴメン、ずっとそうしてきたから)は69年ごろ京都で村八分というバンドのギタリストだった。 
村八分が京都のバンドかどうか知らない、ただ、京大西部講堂でのライブが有名で、当時河原町のディスコで、この前まで富士夫がここでギターを弾いてたんだよと聞いたことがあるので、京都だと思い込んでいる。 準メジャーからアルバムを一枚出したと思うが、一般には全く受けなかった。  と、いうか何時も薬でメロメロでまともな演奏活動が出来なかったのではないか。 事実はどうか知らないがそういうイメージを振りまいたバンドのリードギター、伝説のギタリスト、が山口富士夫だった。 普通のバンドが行うようなコマーシャルなプロモーションはしなかったのではないか。  そして伝説だけが生き残った。 
80年代に横浜の方でギターを教えていると聞いたことがある。  山口富士夫がギターを教えることが出来るなんて考えられなかったし、それを習いに来る生徒が存在することはとても想像できなかった。 ヤマハの音楽教室だったのだろうか。
実際には、村八分の後も他のバンドに出たり入ったり、自分のバンドを作ったりしていたらしい。 ネットニュースでは職業:音楽家になっていた。 なんとも肩書きが奇妙だ。
直接の死因は良くわからないが、喧嘩に巻き込まれて頭を打ったのがきっかけ、と。(直接の死因は肺炎との警察発表、事件の方がニュースバリューがあったようだ。)

昨日、藤圭子(こちらも敬称略)が飛び降り自殺したと。

藤圭子も69年のデビュー、62歳だった。
藤圭子はその後に続く歌謡界のアイドルとは一線を画した69/70年怨念の象徴だった。
藤圭子自体は普通の少女だったのかもしれないが、「夢は夜開く」は当時高度成長時期に失われたもの、資本の論理に押しつぶされた青春、深夜開かない夢の代償、若者達の汗や中年男の体液が入混じった、アイコンだった。
生身の藤圭子は前川清と結婚して別れ、マネージャーと結婚して、宇多田ヒカルの母親になった。
そして、新宿のマンションから飛び降りた。

二人とも69/70年にある種のピークを極め、それから40年あまりを生きて、亡くなった。 二人とも畳の上では死ねなかった。
私は、彼等の知らないところで彼らが発信したもの受けとめ、沈潜させたまま、40年余を生き延びている。
普通ならお悔やみの言葉で締めくくるところだが、遺族の方を存じ上げているわけでもなく、誰にどうお悔やみを言ったらいいのかわからない。
そう、彼等に対して、そして自分の中で行き続けている彼らに対して、言えばいいのか。

Rest In Peace. Thanks

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