Chelsea Factory

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火曜日, 12月 20, 2016

非チェルシー・ストーリー; Patti Sings Dylan

旧聞に属するが、パティ・スミスがボブ・ディランが欠席したノーベル賞授賞式に出席して、ディランの「激しい雨が降る」を歌った。 途中で歌詞がわからなくなり、「I apologise, sorry, I am so nervous.」と中断、満場の客からの立ち上がって拍手に励まされて歌い続け、更に次の詞のところでヨロヨロになったが、歌い切った。

https://www.youtube.com/watch?v=sFFQzpVYVro

私は隠れディランオタク (まあ、本格オタクには全くかなわない軽症オタクです。 因みに、以前のディラン来日公演で特別発売された、ディランのレコードジャケット仕様一口チョコの包装紙をマグネットに包みかえて、居間のスピーカーネットに貼り付けているのですが、来訪者でそれがディランのジャケットだと気が付いた人はいません。)で、パティ・スミスは古い友人なので、それはまるで現実のものとは思えない映像でした。 
唯一残念だったのは、伴奏がハウスバンドでパティのデ盟友、レニー・ケイがギターを弾いてないこと。

数日後、タブロイドのイブニング・スタンダードに「When words fail you, it isn't always such a hard rain」という記事が載った。 良くは分からないけど「言葉が出て来ない時、それは何時もこんな激しい雨とは限らない」と言うような意味だろうか。 曲名にかけて、授賞式の緊張感、高揚感、感動、誇らしさ、そしてディランの詞のすばらしさを強調しているようだ。

記事の寄稿者はイートンからオクスフォード出身でタブロイドに書いてはいるが、英国で最も著名な文学賞ブッカ―賞の審査評者だったこともある。 その彼が、パティがつっかえたことで感動が倍加し、子供たちの見ている前で涙がこぼれて止まらなかった、と打ち明けている。

中囲みのタイトルでは「The song is one of the best example s of Bob Dylan's claim to literary seriousness. この歌はディラン文学の重要性を(認めることを)要求する最高の例のひとつ」と。

この歌が発表された当時、誰も何が歌われているのか分からなかった。 七つの海やそそり立つ山々を乗り越えた冒険、八股のおろちに食われて、三つ目小僧から逃げ惑う旅から帰って来た、みたいな空想は頭の中を駆け巡るがそれがどこへ到達するのか理解できなかったから、理解しようとするのは止めた。
日本(恐らくアメリカでも)では、核実験による放射能雨の恐ろしさを訴えた反戦歌と発表当時捉えられた。 しかし、聞いていると何か違うだろう、と思う。 目くるめくイメージの跳梁、眼が覚めるとお母さんが聞く、何処へ行っていたの、青い目の息子よ、と。 あるいは声をかけてくれるのはパブの太っちょのおばさんだろうか。
この文章の寄稿者は74年生まれ、もうとっくにディランがプロテストシンガーと呼ばれなくなってから生まれ、政治的メッセージを読み込むことはしない。 ただ、ディランやパティにニューヨークのダウンタウンで降り注いだ、激しい雨が50年経った今もまた、降っていることに気づく。

ディランは合わせて受賞の辞を寄せて代読してもらっている。
基本は、有難う、だが中で「尊大」にも自分のことをシェイクスピアーに喩ている。作品を喩ているわけではなく、シェイクスピアが‘河原乞食の‘座付き劇作家として、ステージや役者場合によってはギャラのことを常に考えながら戯曲を書いたように、彼もキーをどうするか、バンドをどうするかなどのことを都度考えながら曲を作って、詞を書いてきた、と。 それは、ディランのような大衆芸能の歌手にノーベル賞を与えるのはけしからん、と怒っている人々に対する回答と解釈される。

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