デイリー・メールは依然£52Milだが、BBCは£60Milの方を採用している。
150円換算だと約90億円だ。 オスカルの給与は3倍、週給£400千(3倍以上、4倍くらいと思う)と言われている。 これは年棒約£20Mil(約30億円)に相当する。 家族がどんなにロンドン好きでも、さすがに心が動くだろう。
一方、クラブは2013年以降、選手のトレード収益のみで£320Mil(約480億円)の収益を上げていると言われている。 従って、チェルシーの球団経営は順調かと言うと、そんなことはない。
財政的には未だにアブラモビッチの資金力におんぶに抱っこ状態(だと思う)。
1905年と比較的歴史の浅いチェルシーは、1980年代までは従来のオーナー(Mear Family)がクラブを所有していたが、フットボールクラブの経営が前近代的オーナー経営ではとてもやっていけない時代となり、80年代当時イーストスタンドの増築に伴う借金が返済できず、借金返済のためにスタンフォードブリッジを売却せざるを得ないかもしれない、と言う経営危機に陥った。 この経営危機に際し、実業家と称し、Wiganのクラブ運営に携わっていたケン・ベイツが1984年4月£1でクラブの経営権を取得した。 この頃、
ケン・ベイツがクラブ取得に投じた資金は僅か£1だが、債務を全て引継ぎ(債務の支払いを保証する形)経営の立て直しを図った。 ベイツ流の近代経営は昔からのファンや古い選手とは軋轢を生み、攻撃的な性格で反感を持つファン、マスコミも多かったが、一応経営は立ち直り、降格による危機も乗り越えてプレミアに定着するクラブとなった。
ベイツはスタジアムの改修、ホテルの併設によるスタンフォードブリッジのコンプレックス化等を進めるとともに、フットボールの世界で知名度が高く、顔の広い監督やヨーロッパ各地からの有名選手を獲得、これによりチェルシーはプレミアで常に上位クラスとなるチームに変貌した。 (今でこそ珍しくないが、当時はイギリス人のいない先発メンバーとして、ずいぶん叩かれた。)
ベイツの経営手法は自分のお金を投入するのではなく、クラブの成績や自分の経営能力をもとに他人からお金を集めると言うもので、基本的には借金経営だった。 中で、マシュー・ハーディングのようなお金持ちのファンを説得して、多額の資金を投入させることには成功したが、経営権は全く渡さなかった。 また、フットボール経営は普通の大金持ちが道楽で使える£10Milとか£20Milとかではとても対応できないビジネスとなり、マシュー・ハーディングレベルではとても対応できなくなった。
ベイツが選んだ最後の監督、ラニエリと。 |
ケン・ベイツはスタジアムの収容能力を上げるため、ウエストスタンドの改築を行い、その資金を社債発行£100Mil (約150億円)で行い、その社債を上場して資金調達した。 当時それは最先端の金融テクノロジーとして賞賛された。
しかし、当時のクラブ収入は£200Mil程度、これはクラブ経営に一杯の状況で借金返済の原資とはなりようもなく、何か秘策がない限り返済(社債償還)ができる筈のない借金だった。
West Stand、中二階とアッパーの間に一列、 プレミア・スイーツがある。アブラモビッチもここから見ている。 |
社債の支払い期限が迫り、久しぶりのチャンピオンリーグ参戦が決まったのにも関わらず、資金不足で進退窮まったベイツに、2003年夏救いの手を差し伸べたのが、ロシアの少し胡散臭い、オルガルヒと呼ばれる、ロシアの政治と結びついた(と思われる)若い新興成金、ローマン・アブラモビッチだった。
アブラモビッチはロシアの公共事業民営化の過程で巨額の富を得たといわれ、当時の個人資産は£1.000Mil 、10億ポンド、約1,500億円を超えると言われ、ベイツ保有株式等旧クラブ株主の株式を総額£60Mil で買い上げるとともに、社債の支払いを肩代わりすることで合意した。
こうして、チェルシーはロシアのお金持ちアブラモビッチの個人企業となった。
チェルシーファンは、新規の資金調達を大歓迎する一方で、ロシアの黒い資金との関係や、個人的な失脚等に巻き込まれること、アブラモビッチが理不尽な我が儘を言いだすことなどを恐れたが、政治的なスキャンダルにまきこまれることはなく、極めて普通のファンらしい対応でファンからはここまでたいそう支持されている。
(勿論、全ては最終的にアブラモビッチの一存で決まり、反対するファンも常に存在はするが、ここまで一般的なファンの意向と正反対の決断が下されたことはない。)
(以下本項続く)
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