今日はChelseaの話はありません。
浅学にしてプレ・ラファイエライト(Pre-Raphaelite)なる一派を全く知らなかった。
数週間前、BBCでイギリス19世紀のムーヴメントが神話や宗教画を題材にしながらも、あくまでもアヴァンギャルドでイギリスの前衛の原点となった展覧会が開催されると紹介していた。神話や宗教画とアヴァンギャルドが結びつかず、大変興味をそそられたが番組の終わり際だけ見たので、どこで行われるのかも良くわからなかった。 その後、地下鉄の広告でテイトでプレ・ラファイエライトの展覧会が行われていることを知り、どうやらこのプレ・ラファイエライトが前衛と宗教画の一派と思い行ってみた。
行ってみると、ミレイのオフェリア等有名な絵も多くあり、美しい女性達、ルネサンスのように過剰に豊満でなく、大きな瞳と華奢な体形のどこか哀愁を湛えた大正時代の美人画と共通する女性達に魅入られて帰ってきた。
その夜、ベッドに入ってWorking Classのサッチャー政権下以来の苦闘を書いた退屈な本を開くと、栞にしていた絵葉書がはらりと落ち、そこにはラファイエット前派の版画展の広告が。 あ、そうなんだ、ラファイエット前派とは言葉通りプレ・ラファイエタイトのことで、プレ・ラファイエタイトは70年代から日本で人気があったのだ。知らなかったのは私だけ。 (因みにその絵葉書は、父の蔵書、父が母と70年代初に唯一の海外旅行でロンドンに来たときに買って帰ったNational Gallery London/ High Renaissance Paintingという小冊子に挟まれていた、伊勢丹からの案内だった。 私はそれがラファイエット以前の画家等による版画展だと思い込んでいた。)
しかし、19世紀半ばにラファエロ以前に戻れと言うのは画期的なことだったのかもしれないが、彼等の絵のどこがアヴァンギャルド、前衛的なのかは、全く分からない。昨日、笹山さんの西洋美術史講座を受けて、彼等の前衛性を理解することを期待した。
笹山さんの説明によると、産業革命の成功からヴィクトリア女王治世下のパックスブリタニカ、クリスタルパレスに象徴される近代文明、日の沈むところのない大英帝国の光の影で大量に発生した、救いのないWorking Class(新しいジャージが正装だと思っているようなリバプールサポーターやニューカッスル、マンチェスターの飲んだ暮れフーリガンの固定化のことだと思う)、娼婦になる以外生活の術を持たない女性達、等々を背景に美の概念が失われて行くことを懸念し、的確な技術でよりリアルに、人間の親密なムードや関係に重きをおいてモダンな手法で「歴史画」を描いた、とか。
でも的確な技術でリアルに描くのは正統派の真骨頂で、前衛とは言わないのではないだろうか。 展覧会には本当に見事な絵で、当時の評論家にはこれはただの鏡だ(画家の意思がない)と酷評されたという風景画があった。これのどこが前衛なのだろうか。
商業的に最も成功したのはミレイで、ロイヤルアカデミーにも認められ、最後はサーの称号をもらったとか。同時にまた彼が最も労働者への思いやりを持ち、集会に自ら参加したりした、と。歳とともに堕落したとも言えるが、それは酷な言い方だろう。彼は結局のところ成功を目指しただけなのだから。この運動の良き理解者であり、評論家でもあったラスキンの奥さんを奪ったという話は、クラプトンとジョージ・ハリソン、パティ・ボイドの三角関係、名曲レイラの誕生を彷彿とさせる。でも、ハリソンとクラプトンがその後いがみ合っていたという話は聞かないし、その後とても知的な奥さんを貰っており、その奥さんがジョージは女性には目がなくて、とこぼしていたのをスコセッシが映像化している。代々、英国王室からして下のほうはゆるいから(或いはきついから気持ち良くて問題なのか、知らないが)ラスキン、ミレイレベルの話は、取り立てて言うほどのことではないのかも知れない。 オフェリアは確かに、暗い、Darkだが、入水自殺の絵ですから、当然暗いです。
ミレイがオフェリアのモデルにしたエリザベートを妻にしたロゼッティは典型的なWomaniserだったそうだ。で、結局RAに認められることもなく、かと言って社会的な関心も全然なく、ひたすら女性の後を追い(まあ、男なら普通ですが)、エリザベートを亡くした後は、ウイリアム・モリスの奥さんを描きまくっている。モリスが仕事でロンドンに行って不在勝ちなのをいいことに、モリス邸に移り住んで奇妙な三角関係を形成していたとか。 ただ、まあ、奇妙と見えるかもしれないけれど、モリスは奥さんに辟易していて、ロゼッティに押し付けてロンドンで羽を伸ばしていたのかも知れず、こればっかりは当人でないと、分からない。 結果として、美しいたくさんのモリスの奥さんの絵が残っているということだけを、私達は受け容れればいい。 第二世代のバーン・ジョーンズになると、そういう逸話も飛び越えてひたすら美人画を書き続けているように見える。
と、言うわけで、どこがアヴァンギャルドやねん、という疑問はクリヤにはされなかったが、考えてみれば、ピカソやカンディンスキーの抽象画や下手ウマの絵を前衛芸術だと思い込んでいる私の方に問題があるのではないか。例え伝統的手法に基づいた絵であっても、職人的視点や自分一人の思い込み芸術的視点ではなく、階級を見据えた視点を取り込んだり、芸術家たちのコミューン(レッドブリックハウス)に参加したりする行為、それらが英国では彼らをして19世紀英国の前衛芸術家と評される所以なのだろう。(描かれた絵自体の手法は問題ではないようだ。)
考えてみると、彼らがPre-Raphaelite Brotherhoodを名乗った1848年は奇しくも、マルクスとエンゲルスが共産党宣言、あの、妖怪がヨーロッパを徘徊している、で始まるあれが発表された年だ。 1960年代がそうであったように、すべてのActionが前衛と見なされる時期がある。 恐らく、Pre-Raphaeliteが自ら名乗り出たのが丁度そういう時代だったのではないか。
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