イングランド、プレミアリーグのチェルシーFCに関するページです。
何を書いたところで、世界が変るわけではありませんが、物言わぬは腹膨るる業と言うわけで、ファナティックなファンの独り言です。
Chelsea Factory
日曜日, 10月 28, 2012
Injustice
28 Oct 2012 Vs Manchester United (Home)
Brave 9 man Chelsea fought against 12 man Man U but finally outnumbered.
But we've never been outgunned.
Daily Mail said,
Blunders Ruined Bridge Calssic
Crazy red card for Torres and Hernandez offside goal hand United victory.
デイリーメール曰く: ヘボ審判ブリッジでの対決をぶち壊す。 トーレスには気狂いじみたレッドカード、あげくにエルナンデスのオフサイドゴールがUnitedを勝たせた。
(Is the writer Chelsea supporter? No,known West Ham supporter. He also wrote. 'It is the club's misfortune that in Clattenburg, they had an official channelling the spirit of Tom Henning Overbo, who as good as handed Barcelona a Chmpion League final place here in 2009.' Ah...Elephant remembers.)
木曜日, 10月 25, 2012
Pre-Raphaelite (非チェルシーストーリー)
今日はChelseaの話はありません。
浅学にしてプレ・ラファイエライト(Pre-Raphaelite)なる一派を全く知らなかった。
数週間前、BBCでイギリス19世紀のムーヴメントが神話や宗教画を題材にしながらも、あくまでもアヴァンギャルドでイギリスの前衛の原点となった展覧会が開催されると紹介していた。神話や宗教画とアヴァンギャルドが結びつかず、大変興味をそそられたが番組の終わり際だけ見たので、どこで行われるのかも良くわからなかった。 その後、地下鉄の広告でテイトでプレ・ラファイエライトの展覧会が行われていることを知り、どうやらこのプレ・ラファイエライトが前衛と宗教画の一派と思い行ってみた。
行ってみると、ミレイのオフェリア等有名な絵も多くあり、美しい女性達、ルネサンスのように過剰に豊満でなく、大きな瞳と華奢な体形のどこか哀愁を湛えた大正時代の美人画と共通する女性達に魅入られて帰ってきた。
その夜、ベッドに入ってWorking Classのサッチャー政権下以来の苦闘を書いた退屈な本を開くと、栞にしていた絵葉書がはらりと落ち、そこにはラファイエット前派の版画展の広告が。 あ、そうなんだ、ラファイエット前派とは言葉通りプレ・ラファイエタイトのことで、プレ・ラファイエタイトは70年代から日本で人気があったのだ。知らなかったのは私だけ。 (因みにその絵葉書は、父の蔵書、父が母と70年代初に唯一の海外旅行でロンドンに来たときに買って帰ったNational Gallery London/ High Renaissance Paintingという小冊子に挟まれていた、伊勢丹からの案内だった。 私はそれがラファイエット以前の画家等による版画展だと思い込んでいた。)
しかし、19世紀半ばにラファエロ以前に戻れと言うのは画期的なことだったのかもしれないが、彼等の絵のどこがアヴァンギャルド、前衛的なのかは、全く分からない。昨日、笹山さんの西洋美術史講座を受けて、彼等の前衛性を理解することを期待した。
笹山さんの説明によると、産業革命の成功からヴィクトリア女王治世下のパックスブリタニカ、クリスタルパレスに象徴される近代文明、日の沈むところのない大英帝国の光の影で大量に発生した、救いのないWorking Class(新しいジャージが正装だと思っているようなリバプールサポーターやニューカッスル、マンチェスターの飲んだ暮れフーリガンの固定化のことだと思う)、娼婦になる以外生活の術を持たない女性達、等々を背景に美の概念が失われて行くことを懸念し、的確な技術でよりリアルに、人間の親密なムードや関係に重きをおいてモダンな手法で「歴史画」を描いた、とか。
でも的確な技術でリアルに描くのは正統派の真骨頂で、前衛とは言わないのではないだろうか。 展覧会には本当に見事な絵で、当時の評論家にはこれはただの鏡だ(画家の意思がない)と酷評されたという風景画があった。これのどこが前衛なのだろうか。
商業的に最も成功したのはミレイで、ロイヤルアカデミーにも認められ、最後はサーの称号をもらったとか。同時にまた彼が最も労働者への思いやりを持ち、集会に自ら参加したりした、と。歳とともに堕落したとも言えるが、それは酷な言い方だろう。彼は結局のところ成功を目指しただけなのだから。この運動の良き理解者であり、評論家でもあったラスキンの奥さんを奪ったという話は、クラプトンとジョージ・ハリソン、パティ・ボイドの三角関係、名曲レイラの誕生を彷彿とさせる。でも、ハリソンとクラプトンがその後いがみ合っていたという話は聞かないし、その後とても知的な奥さんを貰っており、その奥さんがジョージは女性には目がなくて、とこぼしていたのをスコセッシが映像化している。代々、英国王室からして下のほうはゆるいから(或いはきついから気持ち良くて問題なのか、知らないが)ラスキン、ミレイレベルの話は、取り立てて言うほどのことではないのかも知れない。 オフェリアは確かに、暗い、Darkだが、入水自殺の絵ですから、当然暗いです。
ミレイがオフェリアのモデルにしたエリザベートを妻にしたロゼッティは典型的なWomaniserだったそうだ。で、結局RAに認められることもなく、かと言って社会的な関心も全然なく、ひたすら女性の後を追い(まあ、男なら普通ですが)、エリザベートを亡くした後は、ウイリアム・モリスの奥さんを描きまくっている。モリスが仕事でロンドンに行って不在勝ちなのをいいことに、モリス邸に移り住んで奇妙な三角関係を形成していたとか。 ただ、まあ、奇妙と見えるかもしれないけれど、モリスは奥さんに辟易していて、ロゼッティに押し付けてロンドンで羽を伸ばしていたのかも知れず、こればっかりは当人でないと、分からない。 結果として、美しいたくさんのモリスの奥さんの絵が残っているということだけを、私達は受け容れればいい。 第二世代のバーン・ジョーンズになると、そういう逸話も飛び越えてひたすら美人画を書き続けているように見える。
と、言うわけで、どこがアヴァンギャルドやねん、という疑問はクリヤにはされなかったが、考えてみれば、ピカソやカンディンスキーの抽象画や下手ウマの絵を前衛芸術だと思い込んでいる私の方に問題があるのではないか。例え伝統的手法に基づいた絵であっても、職人的視点や自分一人の思い込み芸術的視点ではなく、階級を見据えた視点を取り込んだり、芸術家たちのコミューン(レッドブリックハウス)に参加したりする行為、それらが英国では彼らをして19世紀英国の前衛芸術家と評される所以なのだろう。(描かれた絵自体の手法は問題ではないようだ。)
考えてみると、彼らがPre-Raphaelite Brotherhoodを名乗った1848年は奇しくも、マルクスとエンゲルスが共産党宣言、あの、妖怪がヨーロッパを徘徊している、で始まるあれが発表された年だ。 1960年代がそうであったように、すべてのActionが前衛と見なされる時期がある。 恐らく、Pre-Raphaeliteが自ら名乗り出たのが丁度そういう時代だったのではないか。
浅学にしてプレ・ラファイエライト(Pre-Raphaelite)なる一派を全く知らなかった。
数週間前、BBCでイギリス19世紀のムーヴメントが神話や宗教画を題材にしながらも、あくまでもアヴァンギャルドでイギリスの前衛の原点となった展覧会が開催されると紹介していた。神話や宗教画とアヴァンギャルドが結びつかず、大変興味をそそられたが番組の終わり際だけ見たので、どこで行われるのかも良くわからなかった。 その後、地下鉄の広告でテイトでプレ・ラファイエライトの展覧会が行われていることを知り、どうやらこのプレ・ラファイエライトが前衛と宗教画の一派と思い行ってみた。
行ってみると、ミレイのオフェリア等有名な絵も多くあり、美しい女性達、ルネサンスのように過剰に豊満でなく、大きな瞳と華奢な体形のどこか哀愁を湛えた大正時代の美人画と共通する女性達に魅入られて帰ってきた。
その夜、ベッドに入ってWorking Classのサッチャー政権下以来の苦闘を書いた退屈な本を開くと、栞にしていた絵葉書がはらりと落ち、そこにはラファイエット前派の版画展の広告が。 あ、そうなんだ、ラファイエット前派とは言葉通りプレ・ラファイエタイトのことで、プレ・ラファイエタイトは70年代から日本で人気があったのだ。知らなかったのは私だけ。 (因みにその絵葉書は、父の蔵書、父が母と70年代初に唯一の海外旅行でロンドンに来たときに買って帰ったNational Gallery London/ High Renaissance Paintingという小冊子に挟まれていた、伊勢丹からの案内だった。 私はそれがラファイエット以前の画家等による版画展だと思い込んでいた。)
しかし、19世紀半ばにラファエロ以前に戻れと言うのは画期的なことだったのかもしれないが、彼等の絵のどこがアヴァンギャルド、前衛的なのかは、全く分からない。昨日、笹山さんの西洋美術史講座を受けて、彼等の前衛性を理解することを期待した。
笹山さんの説明によると、産業革命の成功からヴィクトリア女王治世下のパックスブリタニカ、クリスタルパレスに象徴される近代文明、日の沈むところのない大英帝国の光の影で大量に発生した、救いのないWorking Class(新しいジャージが正装だと思っているようなリバプールサポーターやニューカッスル、マンチェスターの飲んだ暮れフーリガンの固定化のことだと思う)、娼婦になる以外生活の術を持たない女性達、等々を背景に美の概念が失われて行くことを懸念し、的確な技術でよりリアルに、人間の親密なムードや関係に重きをおいてモダンな手法で「歴史画」を描いた、とか。
でも的確な技術でリアルに描くのは正統派の真骨頂で、前衛とは言わないのではないだろうか。 展覧会には本当に見事な絵で、当時の評論家にはこれはただの鏡だ(画家の意思がない)と酷評されたという風景画があった。これのどこが前衛なのだろうか。
商業的に最も成功したのはミレイで、ロイヤルアカデミーにも認められ、最後はサーの称号をもらったとか。同時にまた彼が最も労働者への思いやりを持ち、集会に自ら参加したりした、と。歳とともに堕落したとも言えるが、それは酷な言い方だろう。彼は結局のところ成功を目指しただけなのだから。この運動の良き理解者であり、評論家でもあったラスキンの奥さんを奪ったという話は、クラプトンとジョージ・ハリソン、パティ・ボイドの三角関係、名曲レイラの誕生を彷彿とさせる。でも、ハリソンとクラプトンがその後いがみ合っていたという話は聞かないし、その後とても知的な奥さんを貰っており、その奥さんがジョージは女性には目がなくて、とこぼしていたのをスコセッシが映像化している。代々、英国王室からして下のほうはゆるいから(或いはきついから気持ち良くて問題なのか、知らないが)ラスキン、ミレイレベルの話は、取り立てて言うほどのことではないのかも知れない。 オフェリアは確かに、暗い、Darkだが、入水自殺の絵ですから、当然暗いです。
ミレイがオフェリアのモデルにしたエリザベートを妻にしたロゼッティは典型的なWomaniserだったそうだ。で、結局RAに認められることもなく、かと言って社会的な関心も全然なく、ひたすら女性の後を追い(まあ、男なら普通ですが)、エリザベートを亡くした後は、ウイリアム・モリスの奥さんを描きまくっている。モリスが仕事でロンドンに行って不在勝ちなのをいいことに、モリス邸に移り住んで奇妙な三角関係を形成していたとか。 ただ、まあ、奇妙と見えるかもしれないけれど、モリスは奥さんに辟易していて、ロゼッティに押し付けてロンドンで羽を伸ばしていたのかも知れず、こればっかりは当人でないと、分からない。 結果として、美しいたくさんのモリスの奥さんの絵が残っているということだけを、私達は受け容れればいい。 第二世代のバーン・ジョーンズになると、そういう逸話も飛び越えてひたすら美人画を書き続けているように見える。
と、言うわけで、どこがアヴァンギャルドやねん、という疑問はクリヤにはされなかったが、考えてみれば、ピカソやカンディンスキーの抽象画や下手ウマの絵を前衛芸術だと思い込んでいる私の方に問題があるのではないか。例え伝統的手法に基づいた絵であっても、職人的視点や自分一人の思い込み芸術的視点ではなく、階級を見据えた視点を取り込んだり、芸術家たちのコミューン(レッドブリックハウス)に参加したりする行為、それらが英国では彼らをして19世紀英国の前衛芸術家と評される所以なのだろう。(描かれた絵自体の手法は問題ではないようだ。)
考えてみると、彼らがPre-Raphaelite Brotherhoodを名乗った1848年は奇しくも、マルクスとエンゲルスが共産党宣言、あの、妖怪がヨーロッパを徘徊している、で始まるあれが発表された年だ。 1960年代がそうであったように、すべてのActionが前衛と見なされる時期がある。 恐らく、Pre-Raphaeliteが自ら名乗り出たのが丁度そういう時代だったのではないか。
日曜日, 10月 21, 2012
10月20日 対Spurs (Away)
Chelsea 4 Cahill 16 Mata 66, 69 Sturridge 90
Spurs 1 Gls 46 Df 53
今日は試合前、皆Kick It Off (Racism)のT-シャツを着てトレーニング、握手が終わった後脱ぎ捨てて普通のユニフォーム姿に。
開始早々少しSpursの時間帯になるが、これで気が引き締まったのか、すぐChelseaがペースを掴み、試合をコントロール。ゆっくりとボールを廻して、ゴールに向かう。 もう一つ最後のシュートまで行かないが、その内点は入るだろうと予感させた16分、コーナーキックからギャラスがヘッダの中途半端なクリヤー、PKエリアライン上ぐらいにいたCahillが豪快なボレーシュート。きれいに決まって先制。まあ、早過ぎることもなく、ちょうどいいぐらいのタイミング。 その後ももChelseaペースは変わらず、一貫してゲームをコントロール。 中盤が良くボールをキープできるが、最後の決め手がない。
相手に殆どチャンスを与えず、前半終了。 Spursって、こんなに弱っちかったっけ、と思ったら、良く見るとBaleがいない。
何でも、パートナーのお産に急遽立ち会うことになったそうで、お休み。 Bale一人の不在でこうも違うのか、と感心した。
後半開始直後、Chelseaが寝ている間に、フリーキックからギャラスにヘッディングで決められて同点。あれっと思っている間に、何故か浮き足立ってしまってSpursに押し込まれる。 と、7分後にはデフォーに決められて、逆転されてしまった。 センタリングがDavideの後ろ、Cahillの前にいたデフォーの足元にピタリ。 何故、トーレスの足元に来たボールは前でカットされるのに、デフォーはDFの前にいるのだろうか、と不思議。
逆転されたら、それまで大層威勢の良かったアウェイの応援がいっぺんにしゅんとなってしまった。 現金なもの。 とにかく早く同点にしないとズルズルと行くぞという不安感と、待て待て慌てるなと自制する声がない混ぜになって聞こえてくる。 いずれにせよ、時間は充分ある、と言い聞かせていると、オスカルのパスをマタが見事に決めて同点。 もうこうなると後は勝ち越すだけ。3分後に、今度はアザールのパスをマタが決めて逆転。 (アザールはトーレスにパスを出したのではないか、と思うが、トーレスが反応できなかった結果、見事なマタへのスルーパスになった。)
Spursも必死に抵抗、神様、仏様、Ceck様と言う場面もあり、心臓が縮む思い、肝を冷やす思いもあったが、再び完全にチェルシーペース。 終了間際には、相手DFが無理にライン内に止めたボールをマタが奪って、センタリング、トーレスの前にいたスタリッジが簡単にタップイン。 チェルシーファンは歌う歌う、”Andre Andre What's the score"耐え兼ねて帰り始めたSpursファンに”チェリオ、チェリオ、チェリオ”。
しかし、今日もトーレスが決められそうなボールを何度も決められなかった。
Cahillにシュートの打ち方習ったらどうか。
テリーに関するクラブ役員のコメント
公式ページ(UK版)にテリーの件に関する、Chairman Bruce BuckとCEO Ron Gourlayのコメントが載っている。 もういい加減にしたいから、全部は引用しないが大事な点だけ紹介しておく。(それでも長くなるが。)
1.クラブによるテリーの処分
テリーには引続きチームのキャプテンを務めてもらう。しかし、FAが課した以外に球団として重い処分を課す。(内容は非公開だが、罰金。)これは、ジョンの行動がクラブが期待する高い規範に達しなかったことに対するものである。 ジョンはクラブをがっかりさせ、自分自身もがっかりさせたし、言葉は適当なものではなかった。
この処分を決めるあたり重要なことは、裁判では正式に無罪となり、FAの報告でもクリアーにテリーは差別主義者ではないと、明確に述べられている点である。
ドログバに対して差別的野次で観戦永久停止となったファンとの差は、テリーは裁判で無罪が確定、当該ファンは有罪が確定していること、私達の立場はすべてテリーは裁判においてクリアーされている、というところから来ている。
2.アントン・フェルディナンドの家族への謝罪
アントンの家族は本件で何の罪もないのに色んなことに巻き込まれて、大変な思いをされた。これに対しては心から謝罪したい。(注:巻き込まれた家族に対してであって、差別発言への謝罪ではない。差別発言自体はなかったのだから。) テリーは皆に謝罪しているから、その中にアントンに対する謝罪も含まれている、と思う。(注;明確に述べてないが、ここでも巻き込まれたことに対してで、差別発言に対してではない、と思われる。)
3.信用できないコールの証言について
チェルシー役員であるDavid Barnardが提出したコールの証言録について、途中で内容が変わっているからコールもDavidも信用できない、と断じられたFAの報告は滅茶苦茶であり、謝罪されるべきものだと思う。これは、FAがコールに対して行ったインタビューの原稿がクラブに送られてきて確認を求められたもので、コールは改めて読み直し、弁護士と相談して必要な変更、手をいれ、それをDavid BarnardがFAに提出したもの。Davidは郵便ポスト以外の何の役目を果たしておらず、記憶に問題があるとか信用できないとか断じられる性格のものではない。 また、証言を読み直して弁護士と相談して手をいれるのは、裁判等では極く普通の手続きであって、信用できないとか言われる性格のものではない。(注:思い違いや言い間違いもあるので、証言録を読み返して手を入れるのは、米国でも英国でも私自身が体験した普通の手続き。だから報告書は偏見に基づいた63Page Rubbishだつうの。)
これらのコメント全文は公式ページ(英語版)に出ている。 日本版には載っていない。まあ、日本ではあまりたいしたことではないから、日本版に載ってないのは理解できる。しかし、テリーのコメントは日本版に載っていて、この翻訳はひどい。まるで日本語になっていない。 他の日本語の記事も機械による翻訳のようで、日本語になっていない。かって、稲本が来たときに急遽作ったFulhamの日本語ページ並みだ。
木曜日, 10月 18, 2012
テリー 処分を受入れ
4試合の出場停止と2週間分の給与相当の罰金というFAの裁定をテリーが受け入れ、上告はしない、と表明した。
言いたいことは色々あり、不満だけれど、結論が出ずに長引いていることへの批判がテリーへの批判にすり替わったり、事実確認は無視して差別主義者と決め付ける声も多いこと、FAはテリーは嘘つきだけれど、差別主義者ではないとして、結果的にこの種の処分では最低の処分にとどめていることから、もう面倒くさい、受け容れたらどうか、という声がサポーターの間にも広がっており、想定通りの発表。
テリーのコメント全文。
「注意深く検討を重ねた結果、FA(フットボール協会)の裁定に異議を唱えないことを決めました。
この機会を借りて、昨年10月のQPRとの試合において使った言葉について皆さんに謝りたいと思います。
FAの裁定には失望させられましたが、文脈に関わらず、私が使った言葉がサッカーのピッチの上で或いは普段の生活上において、受け容れられるものではないと言うことを受け容れます。
刑事事件の法廷でも述べた通り、後講釈で考えてみると、私が使った言葉は私の立場にある人間があの状況に反応して使う言葉として、明らかに適切ではなかったと思います。
私の反応はチェルシーFCが私に期待している、また私自身が私に課している、基準以下のものでした。
将来に向けては、フットボールからあらゆる種類の差別的行動を排除しようとしている私のクラブを支援すべく、私の役割を果たし続けていくつもりです。 一貫して私を支援してきてくれた、チェルシーFC、サポーターの皆さん、そして家族に、心から感謝します。」
恐らく弁護士等が注意深く練り上げた文章だと思うが、その割りに難しい英語や言い回しはあまり使われておらず、テリーが自分の言葉で喋れるような文章になっている。 (言い換えると、英国英語的には格調高くない。)
面白いなと思ったのは、3点。
1) 一言も差別的発言をしたとは認めていない。 唯一近いのは、クラブの方針としての差別的行動の排除(Discriminatory behaviour)に言及しているところだけ。
2) 対象者とされている、アントン・フェルディナンドへの謝罪は一言もない。 (アントンに対して使っていないと主張。)
3) 基本的に反応が適切でなく、対応が期待標準以下であった、とReaction、Responseがまずかった。 即ち、売り言葉に買い言葉、相手が本来悪いのだ、チンピラに絡まれても、チェルシーのキャプテン、青少年のお手本としては、紳士的に対応すべきであった、と反省している。
因みに、テリーが言ったとされているのは”Blxxk Fuxxxxg Cuxt"と、言うもの。 この手のSwear Wordは客席のあちこちでしょっちゅう喚かれているではないですか、と訊かれたことがある。 確かに、後ろの2語はしょっちゅう聞こえてくる。 これにBlxxkをつけたのがいけなかった。 Whiteなら良かったのかも知れない。 或いはPinkとか。 あれっ、Pinkじゃ、そのものずばりじゃないか、ピッピッー、イエローカード。
火曜日, 10月 16, 2012
雨に唄えば
世の中には大失態というのが、時々ある。
思いもかけない事態での失敗というのは、珍しくないし、誰も責められないが、明らかにありそうなことに対する準備がないと、普通は馬鹿にされる。
例えば、メガバンクの統合でコンピューターシステムが動くかどうか、キャッシュカードがまともに動作するかどうかなどは、充分な準備期間を置いて、万全の体制で取り組むべきもので、これに失敗すると頭取の首が飛ぶ。 うまくいっても誰も褒めてくれない。
英国では時々、想像できないような失敗にお目にかかることがある。 例えば、今でこそロンドン名物として堂々と回っている大観覧車だが、工事中、テイムズ川に浮かべて組み立て、それを引っ張り上げようとして、30度ぐらいのところで宙ぶらりんに止まってしまった。 引揚げる重さにワイヤと滑車が耐えかねて空回りし始めたとか。 そのまま、3ヶ月ぐらい中途半端に30度くらいの角度でテイムズ川上に浮かんでいた。 設計、工事に当たって重量計算というのがあるんじゃないのか?
同じ1999年ミレニアム記念事業として建設したミレニアム・ブリッジ、両端から引っ張って支えるという独自の構造だったが、開所式にエリザベス女王が渡ろうとすると、強風で揺れに揺れて渡りきれず、半分のところでU-ターン。 その後、一旦閉鎖、一般に改めて開放されたのは明けて2000年になってから。
こういうのは想定外の事態とはとても言えないから、大失態と言う。 言い換えると、失態と言われそうになると、福島あたりで聞いた気がする、想定外の事態と言うのが典型的な言い逃れ。
と、言うわけで本題。
本日のインターナショナル、ポーランド対イングランドが雨で中止になった。
サッカーの試合が雨で中止になるのは珍しいものの、無いわけではないが、これがワルシャワの収容人員5万5千人、ポーランドが誇る屋根付きスタジアムとなると、あれえ、何かおかしい。
7時45分キックオフ予定が、ボールを落としたら水しぶきが上がるだけで弾まない状態で試合が始まらない。
野球と違って万一の場合に裏番組が用意されているわけではなく、と言うか中止と決まった訳でもないから、ITVはもう時間潰しに大変。
ロイ・キーン、サウスゲート、アナウンサー等がイングランドからのアウェイファンは帰りの便が決まっているから、明日やると言われても見ないで帰らざるを得ない、どう補償するんだ、いや、こういう場合は入場券払い戻しだけだろう、とか、仕方がないから、アメリカ大統領選の模擬公開討論でもやって時間を潰そうかとか、勝手なことを言っている。
その内にわかったことは、屋根付ではあるのだが、閉めようとしたらまるでイギリスのNationalRailのように(語られた表現そのまま)重過ぎて動かなかったとか。
その内、ポーランドサッカー協会のメディア担当の女性が出てきて、「今、あらゆる手段を検討して、あらゆる可能性を検討している」と。 しかし、雨は未だ降り続いて、屋根は開いたまま、このままやると言っても無理じゃないか、と言われて「芝生の下には立派なヒーティングシステムがあるから、これを作動させれば、雨は乾く。」 しかし、まだ水がどんどん溜まっているのですが、、、「充分なヒーティングシステムがあり、あらあゆる手段を講じています。」 水を流すための場内整備員とかいないんですか。「ヒーティングシステムがありますから。」 このままヒートアップしたら、お風呂のようになるだけでは、、、どうして屋根を閉めなかったんですか。 「激しい雨が降るとは予想していたが、土砂降りになるとは予想していなかった。これば誰にも分からないでしょ。」??? うーん、アゥエイファンへの補償とかは、「(きっとなって)この大変な時にそこまで未だ考えている余裕はありません。」
結局、明日の5時からの試合に順延されたが、果たして明日の夕方までに水がはけるものか、皆不安。 いかに立派なヒーティングシステムがあってもなあ。 なんでも、屋根があるからと言う理由で、グラウンド整備員と言うものはいないそうだ。
こう言うのを大失態と言うのでしょう。 今回は英国ではなく、ポーランドでした。
まあ、世界のニュースになるような失態を演じた経験のある当人が言える立場にはありませんが。
土曜日, 10月 13, 2012
X-factor 知ってる?
International Weekで、チェルシーの試合がなく、つまらない。 イングランド代表にはテリーもランパードも出てないし、相手は世界ランク最下位同順位のサンマリノ大公国では、ルーニーが真面目にやってたと言うこと以外、面白いことは何もない。
日本は11年前にやりたい放題やられたフランスに勝ったそうで、良かったね。 11年前、ロンドンから大挙して見に行ったのが懐かしい。
香川君も得点してほっとしただろう。 そう言えば、今野が最後に見せ場を作ったとか、ああ、もうFCの選手じゃないんだ。
ロンドンではITVのX-factorが佳境に入っています。
好き嫌いは別として、最終的には16歳の少女とスーパーの店員の坊やの争いになるのだろうと思う。
http://xfactor.itv.com/
左の写真はX-factorとは何の関係もない、Patti Smith London公演の写真。 珍しく比較的まともに撮れたのでアップしてみた。
火曜日, 10月 09, 2012
St George's Park開所式
10月9日、イングランド代表の専用トレーニングセンター、St George's Park が総工費1億ポンドをかけて完成、完成式典には未来のプリンス&プリンセス(正確にはダッチ&ダッチェス・オブ・ケンブリッジと言うらしい)、ハリー&ケイトが参加し、華やかに行われた。
右の写真、監督のロイ・ホジソンと主将のジェラードは左の端にいて、ケイトさんの隣の一番いい場所をニコニコとランパードが占めている。 これは、年の功で若造達を追い払ってここは俺の場所と占領したのだろうな。 余計なツイートで大問題を引起して代表追放かと言われたA・コールもさすが俺はもう少しで代表100試合なんだ、といい場所をキープしている。
コールはハリーから「アッシュ君、ツィートはほどほどにして、不用意な発言は止めた方がいいよ。」と言われて、「ははああ、申し訳ありません。以後気をつけます。」と言ったとか、言わないとか、それでプリンスの恩赦を受けたとか、受けないとか。
テリーがどんなにこの晴れがましい場所に主将として参加したかったことか。。。。
右の写真、監督のロイ・ホジソンと主将のジェラードは左の端にいて、ケイトさんの隣の一番いい場所をニコニコとランパードが占めている。 これは、年の功で若造達を追い払ってここは俺の場所と占領したのだろうな。 余計なツイートで大問題を引起して代表追放かと言われたA・コールもさすが俺はもう少しで代表100試合なんだ、といい場所をキープしている。
コールはハリーから「アッシュ君、ツィートはほどほどにして、不用意な発言は止めた方がいいよ。」と言われて、「ははああ、申し訳ありません。以後気をつけます。」と言ったとか、言わないとか、それでプリンスの恩赦を受けたとか、受けないとか。
テリーがどんなにこの晴れがましい場所に主将として参加したかったことか。。。。
日曜日, 10月 07, 2012
10月6日 対Norwich (Home)
Chelsea 4 Torres(14) Lampard(22) Hazard(31)
Ivanovic(76)
Norwich 1 Holt (11)
前日の雨がきれいにあがって、美しい青空が広がるStamford Bridge。
早くから、ブルーのユニフォームがスタジアム周辺を埋める。 東洋人のお客さんもあちこちに。
Norwichは前週5-2でLiverpoolに負けており、Chelseaとしては必ず勝たないといけない相手。 Chelseaは週中チャンピオンリーグ戦で4-0とデンマークのチーム相手に大勝しているが、大勝の後は苦戦するのが世の常。 こういうところで、スッテンコロリとこけることの無いよう、気を引き締めてかからないといけない。
開始早々、Torresが抜け出して、キーパーと1対1、ここで決めれば今日も大量得点と思ったら、後ろから必死に走りこんできたDFのタックルで決められず。 嫌な予感。
と、思っていたら、11分ゴール前を一旦止めたかに思えたボールをに走りこんだHoltに決められて、スタジアムは沈黙。
しかし、Norwitchの先制はいかにも早過ぎた。残り時間は十分にある。 1点程度のハンデは恐れるに足りないと、Chelseaが攻めまくる。 先制を許した3分後、Mataが左に振って、Ivanovicのセンタリングが相手DFと競りながらTorresが見事に決めて同点。 同点のまま時間が過ぎるのは嫌だなあ、と思っていると、8分後にはTorresのオーバーヘッドキックが相手DFに跳ね返ってきたところを、PKエリアのライン上ぐらいに居たLampardが、敵味方入り乱れる人混みの中をまっすぐ抜けるシュートで逆転。 後は、堰が切れて、一方的。 久しぶりに強い、隙のない試合。
まあ、相手が相手だから、6点、7点取っても良かったと言えばそれまでだが、殆ど安心してみていられた。
ただ、Torresが決定的なチャンスで決められない。 7試合で4点だから、結果を残しているといえるのかも知れないが、今日の試合でも4回は決定的なチャンスがあった。 ハーフチャンスの競ったヘッダは決めたがイージーチャンスは一つも決められなかった。 Ivanovicにシュート習ったらどうか。
一方、今日もMataは4点すべてにどこかで絡む大活躍。 Hazard、Oscarの加入を充分に活かし始めた。
リーグ戦久し振りのLampardはゴールも決めてまずまず。 膝の後ろに違和感とかで70分前に交代したが、存在感はあった。
Ivanovic(76)
Norwich 1 Holt (11)
前日の雨がきれいにあがって、美しい青空が広がるStamford Bridge。
早くから、ブルーのユニフォームがスタジアム周辺を埋める。 東洋人のお客さんもあちこちに。
Norwichは前週5-2でLiverpoolに負けており、Chelseaとしては必ず勝たないといけない相手。 Chelseaは週中チャンピオンリーグ戦で4-0とデンマークのチーム相手に大勝しているが、大勝の後は苦戦するのが世の常。 こういうところで、スッテンコロリとこけることの無いよう、気を引き締めてかからないといけない。
開始早々、Torresが抜け出して、キーパーと1対1、ここで決めれば今日も大量得点と思ったら、後ろから必死に走りこんできたDFのタックルで決められず。 嫌な予感。
と、思っていたら、11分ゴール前を一旦止めたかに思えたボールをに走りこんだHoltに決められて、スタジアムは沈黙。
しかし、Norwitchの先制はいかにも早過ぎた。残り時間は十分にある。 1点程度のハンデは恐れるに足りないと、Chelseaが攻めまくる。 先制を許した3分後、Mataが左に振って、Ivanovicのセンタリングが相手DFと競りながらTorresが見事に決めて同点。 同点のまま時間が過ぎるのは嫌だなあ、と思っていると、8分後にはTorresのオーバーヘッドキックが相手DFに跳ね返ってきたところを、PKエリアのライン上ぐらいに居たLampardが、敵味方入り乱れる人混みの中をまっすぐ抜けるシュートで逆転。 後は、堰が切れて、一方的。 久しぶりに強い、隙のない試合。
まあ、相手が相手だから、6点、7点取っても良かったと言えばそれまでだが、殆ど安心してみていられた。
ただ、Torresが決定的なチャンスで決められない。 7試合で4点だから、結果を残しているといえるのかも知れないが、今日の試合でも4回は決定的なチャンスがあった。 ハーフチャンスの競ったヘッダは決めたがイージーチャンスは一つも決められなかった。 Ivanovicにシュート習ったらどうか。
一方、今日もMataは4点すべてにどこかで絡む大活躍。 Hazard、Oscarの加入を充分に活かし始めた。
リーグ戦久し振りのLampardはゴールも決めてまずまず。 膝の後ろに違和感とかで70分前に交代したが、存在感はあった。
63 Page of Rubbish
FA’s 63 page report was like an emotional and malicious prosecutor’s final speech not an imperturbable third party report.
According to papers all conclusions were based ‘on the balance of probabilities’ not a single matter on the fact. ‘Improbable, implausible and contrived’ it read, but there is a big jump between the first two and the last one. It sounds unlikely and it is hard to believe, they are your opinions or your feelings, but when you say you contrived, that is a condemnation. It must be based on the fact not on your belief or feelings.
‘At no point is his demeanour and facial expression that of someone who is imploring, injured, or even quizzical in the face of an unfounded allegation’ is the unfounded allegation. Give me a break. You cannot be accused of simply a facial expression, when you protest you may get excited or may be sarcastic, you cannot tell.
Even for the Cole’s alteration of his words, we hear only one side of the story considering with the total tone of the report how can we take it as a face value?
The report says Terry is not a racist based upon many character witnesses but still it says Terry used the B-word as a part of insult. If B-word can be an insult for someone it means he is a racist, isn’t he? The report is a product of contradictions. So it cannot be an imperturbable analysis but a harshly written emotional report.
The report is a waste of words and guesses, like my writings.
The report should be rephrased at best something like:
“Based upon a lengthy and costly investigation and hearing, we found nothing of very conclusive. We found Mr Terry is not a racist but he used the word ‘black’ once during the heated verbal exchange and it merited four match ban and proportional fine.”‘At no point is his demeanour and facial expression that of someone who is imploring, injured, or even quizzical in the face of an unfounded allegation’ is the unfounded allegation. Give me a break. You cannot be accused of simply a facial expression, when you protest you may get excited or may be sarcastic, you cannot tell.
Even for the Cole’s alteration of his words, we hear only one side of the story considering with the total tone of the report how can we take it as a face value?
The report says Terry is not a racist based upon many character witnesses but still it says Terry used the B-word as a part of insult. If B-word can be an insult for someone it means he is a racist, isn’t he? The report is a product of contradictions. So it cannot be an imperturbable analysis but a harshly written emotional report.
The report is a waste of words and guesses, like my writings.
金曜日, 10月 05, 2012
My guess about Terry's case
Mr Rod Liddle’s column titled ‘Terry becomes a football for nation’s
neuroses’ (Sunday Times on 30 September 2012) is one of the only a few articles
written about Terry that sounds sensible to me. At certain point, Mr Liddel
seems he is talking about himself then he agitates Terry without committing any
responsibilities on his side more than anything else as Mr Liddle is known to
be a Millwall supporter I am not sure if Terry feels comfortable with his
encouragement. None the less, I feel it is helpful to Japanese readers of this
blog to understand the situation or part of it, I carried a gist of rough
translation of the article, I hope Mr Liddle do not claim the infringement.
Additional to Mr Liddel’s points I would like to list several points
why such a case so fundamentally ludicrous that neither the alleged victim nor
nobody indeed witnessed the crime upon which Terry had been arraigned received so much attention.
My
interpretation is that this farrago has been confected by QPR, whipped up by
Rio and served by indiscreet FA. Now I suspect FA is regretting for this case
not that they postpone the decision after the criminal trial but that they
charged Terry at all based on the only feeble evidence, emotional response in
the beautiful name of zero tolerance. Once you come to senses it is obvious
that if Terry appeals FA is sure to lose, they have no legal ground to win at
all, so they gave Terry the lightest penalty they can think of and they are now
asking, no, begging to Terry to forget the case, nothing serious had happened,
let’s look at the future, John, of course it does not work that way, does it?
It now depends on John and Bruce Buck.
Anton Ferdinand did not have any bitter feeling against Terry or
Ashley Cole after the game, that is what he said, but one year later he refused
to shake hands before the game and showed hostility against them why? Does he now
hear the words he did not hear during the game?
According to him(papers) his girlfriend told him when he returned home
that TV was making a big issue about the case. But his girlfriend was not in a
position to know the situation better than Anton. On the other hand, his big
brother Rio seemed convinced of Terry’s guilt from the start; he even racially
abused Ashley Cole who took the stand of Terry. Pak also refused to shake hand
with Terry, I do not think Pak and Anton were that close but I know he was a protégé
of ManU captain. Even though nobody explicitly talks the suspicion, an outsider
like me can easily guess the motives of Rio’s remarks. I also suspect that is
the real reason which made Capello furious. Probably it was one of those secrets everybody in the business knew but officially would never be told; Roy Hodgson will never recall Rio,
Fergie and Neville were afraid that Rio might make further silly remarks so
that they had to warn Rio in different manners.
Then this is Terry against Ferdinand clan. Not the case of racial abuse. FA
inadvertently took the side of Rio’s vendetta.
Ex-FA official said both parties had learned a lesson. Wrong, FA
learned a lesson. As I said earlier, FA is now begging Terry to sheathe his
sward to keep face. Then it looks like Terry makes his own decision, FA leaked
the idea of appealing to get a tighter penalty to threaten him, what a dirty
trick! If it were in USA they would have made compromised agreement under attorney-and-client-privilege
and settled by now.
Terry may get tired of the fiasco, he may just say OK and give up an
appeal tomorrow or today. I have no idea, as what I wrote above is all my guess.
木曜日, 10月 04, 2012
テリーは差別主義者(か?)
一年前の対QPR戦における、テリーの発言について(誰もその場で聞いた人はいない)、人種差別的発言があったとされる問題は、刑事裁判で無罪になったにも関らず、協会は4試合の出場停止処分と罰金をテリーに課した。
明らかに不当な処分なのだが、問題の長期化にいい加減ウンザリしているのが、世間一般の受け止め方。 この問題は日本では理解し難い点が多いと思うが、9月30日付けSunday Timesに載っていたMr Rod Liddleのコラムが興味深かったので、少し(大分)長いけれど要旨を翻訳しておく。
残念ながらこれは英国メディアの代表的意見ではない。 むしろここまで言うのは極めて少数派。
明らかに不当な処分なのだが、問題の長期化にいい加減ウンザリしているのが、世間一般の受け止め方。 この問題は日本では理解し難い点が多いと思うが、9月30日付けSunday Timesに載っていたMr Rod Liddleのコラムが興味深かったので、少し(大分)長いけれど要旨を翻訳しておく。
残念ながらこれは英国メディアの代表的意見ではない。 むしろここまで言うのは極めて少数派。
テリーはこの国の神経症のネタになった。(訳者反省:すまん、日本語になってない)
「利益を得るのは弁護士だけ」昨日の或る全国紙の見出しだが、罰金と4試合の出場停止というフットボール協会の馬鹿げた処分に対してアントン・フェルディナンドを差別用語を使って侮辱なんかしていないと上告すると、テリーが語ったことに対して向けられた、何ともわざとらしく誇張されたもっともらしい見出しだ。(訳者注;何とも持って回った言い方、これがTimes紙の英語)
裁判所がテリーを無罪としたのだから、私たちは皆彼がQPRのディフェンダーを差別用語で罵ったりしてないことを知っている。英国の裁判所が無罪と言えばそれは無罪ということだ。それが無罪判決の意味だ。しかしながら、事実や法廷での結果に関らず、一旦差別という言葉が飛び交うと、有罪(差別主義者)というレッテルはこびりつく。
人種差別主義者とみなされる者を追求する際には、全体主義的かつ偏執症的な色彩がつきまとう。ジョン・テリーの場合は特にそうだ。何しろお金が一杯あって、でも何時も世界で一番いい奴と言うわけでもなくて(会ったことがないから未確認だけれど)、そのくせ代表チームの主将というサッカー選手として望む限り最高の栄誉を成し遂げた人物なのだから。
と言うわけで、テリーはこの国の国民的な双子の病的感情、人種差別に対する反感と成功者に対する嫌悪感というとても厄介な感情の挟み撃ちにあってしまったのだ。弁護士だけが勝てる。そう、確かに弁護士は何時だって勝つ。或いは、テリーは差別主義者だとするほのめかしが払拭されないで浮遊している以上、テリーが無罪判決を勝ち得た先の裁判で勝ったのは弁護士だけ、と言えるかもしれない。それはテリーが罪状認否を問われた犯罪というものが被害者とされる人間も自覚せず、いや実際誰一人として目撃していないという基本的に馬鹿馬鹿しいケースだ。誰も見ておらず、誰も聞いていない犯罪。私達は読唇術者のああ言っているのかもしれない、いやこう言っているのだという推測を楽しまされているだけ。もし悪いことが言われたりそれを聞いたとしたら受けた側の人間が傷つく可能性があるかもしれないことについての裁判で、実際それはなかったと明らかになった。
今から何年もして振り返ったら、どうしてこんな狂気に自分たちが捉われて拘ったのだろうと不思議に思うことだろう。思うに、精神分析の父であるジグムンド・フロイドならこれは集団的罪の意識の結果だと、或いは最近てかそれほど最近でないところも含めた私達や私達のペテンに満ちた歴史を何とか問わないで来たことの身代わりとして他人を差別主義者として告発しているというようなことを言うのだろう。そしてまた、すべての公式の立場にある人々や偽の公式の立場にある人々―記者や評論家のことを指しているのだが、がこの狂気と歩調を合わせるのは、怒りの遠吠えであれ、ジョンを差別主義者と串刺しにするのであれ、それらに異議を唱えることは自分自身が差別主義者の仲間とみられかねないないからだ。(訳者自嘲:まるで初期の大江健三郎の文章みたい。)それって、自分のキャリアにとって致命的だろう。それに、一旦そう見られたらどんなに大声で振り払おうとしても差別主義者という非難はこびりつく。我々はほんに魔女狩りの世界にいるわけだ。
これは私に魔女狩りに使われた水責め椅子を想い起させる。告発された人間はこの椅子に縛り付けられて池か川に沈められる。もし生き残れば魔女で溺れれば魔女じゃなかったという仕組みだ。まるでこれが私たちがテリーに迫った選択のようだ。無罪だって、そう、じゃあ、それを見せてもらおうか、ブクブクブク。
利益を得るのは弁護士だけ、だから上告は取り下げろ、テリー、お前は汚い差別主義者、協会がセットアップした人民裁判の評決を受け入れな。暴徒による人民裁判、追及なんて生優しいものじゃない、それは事実に基づいたどんな考慮も超えてテリーは有罪でなければならないとする決め付けの裁判。実際、どんな常識も超えている。
どうして、テリーはこんな非道な行いに譲歩しないといけないのか。どうして彼は戦ってはいけないのか。彼はこの9ヶ月間毎日のように中傷され、代表チームの主将の座を追われ、それは誤った処分なのに、「可能性において」ということで過去に遡って差別主義者であると決め付けられ、22万ポンドの罰金と4試合の出場停止を課せられてしまったのだ。
でも、彼はこの当局により誘発された誹謗中傷、悪意を受け止め耐えなければいけない、と言う、一体何の根拠でそうなるのか。彼が金持ちだからか。彼がサッカー選手だからか。これは、黒人の選手たちと一緒に育ち、一番の親友が黒人で、毎週黒人のプレイヤー達と試合をしてきた労働者階級(Working class)の男なのだ。 彼は木蓮の花の色の肌をした高尚なガーディアンとかの論説記者とか、実際サッカー協会の上層部を占めている太ったサル達よりも、この多重文化を受け容れる社会に調和している。それなのに、どうしてこの中流階級の進歩的な体制が作り上げた権威が、そうではないと言う裁判の結果に反して、彼が人種差別主義者だと決め付けるのを、受け容れないといけないのか。 私は彼がもうあまりに長い間この不当な扱いを受け入れ過ぎたと考えているのではないかと思う。そして彼の考えは正しい。もし必要なら彼の上告のための募金に寄付をしてもいい。
と言っても大した金額じゃなくて、まあ彼の弁護士費用の42秒分ぐらいかもしれないけれど。
思うに、この国の大半の人はこのごった煮がでっち上げられ、泡立てられたもので、テリーは不当に非難されていると感じているのではないか、と思う。しかしこの感覚はいままで述べてきたような理由で広くメディアのから紹介されることはない。 このケースは私達の支配階級や圧力団体、太った評論家達が世の中の一般的感覚から踏み外れてしまった一つの例だと思う。 しかし、まあそうは言ってもこれは推測ですが。
水曜日, 10月 03, 2012
10月2日 対FC Nordsjaelland (UCL, Away)
Chelsea 4 Mata(33, 82) Luiz(79) Ramires(89)
FC Nordsjaelland 0
Lampardがキャプテン、Milkel、Terry、Hazardがベンチ、Cahill、Mosesが先発。
出だしの10分はチェルシーが完全にコントロール、点を取るのは時間の問題、簡単簡単と思ったら、その時間帯に点を取らないと苦労する、の典型。 段々Fc Nordがボールを廻して、チェルシーは決定機を作れないようになって来る。 それでも、一瞬Torresが前で相手DFからボールをもぎ取って、中央に走りあがったLampard、右から入って来たMataへのスルーパスで、きれいな先制。
しかし、これで堰が切れたかと言うと全然、後半もFc Nordの方が圧倒的に上手にボールを廻す。突き放すどころか、Cechのファインセーブのお世話になる始末。 情けない、前半の1点を守って逃げ込もうとするしかないのか、と苛立っていると、79分のフリーキック、蹴りたい蹴りたいのDavideがやっと蹴らせてもらったら、サイドポストを内側から直撃する見事なフリーキックで待望の追加点。 この2点目でFc Nordの糸が切れて、後は弱いもの苛めの3点目、4点目。
結果は4-0の圧勝のように見えるが、例によってチャンピオンとはとても言えない、弱っちい試合ぶり、何とかならないのかなあ。
この試合に限らず、中半もたつく時は、後ろでボールを持った時に、すぐに前にボールが出せず、DF間でボール回し、そこへ相手FWがプレスしてくると苛められっ子のようにズルズル下がって、Cechのロングフィードになるか、下手すると相手に取られてしまう。相手がボールを取った時には中盤でのプレスがないから、あっという間に自陣のゴール前まで押し込まれて、PKエリアに放り込まれてしまう。 いかに後ろがしっかりしていると言っても(たいしてしてないが)相手にプレスをかけられた状態でパスを廻していれば、パスミスから危険な位置でボールを取られる可能性が多くなり、中盤を省略してすぐに最後列だけで守ろうと放り込みやロングシュートを許していたら、ワンダーゴールを決められる可能性が出てくる。 対戦相手は一応皆プロなんだから、瞬間のタイミングが合えば、奇跡のようなプレイをするぐらいの能力は持っている。 バルセロナ相手に守れたのと同じことが他チームに通用すると思ったら大間違い。
Torresは重症。先制点のように得点に或いは攻めに貢献はしたが、5回は1対1或いはそれに近いチャンスを逃した。 それも空振りとか地面を蹴ったりとか、キーパーにパス(これはOn target仕様がないか)。 考えてみればDrogbaも似た様なもので、与えられたチャンスは結構ミスしていた。 ただ、Drogbaの場合、どこにもチャンスのないところから突然ゴールする意外性があった。 今のTorresにはそれがない。 チャンスボールが回って来ないともとても言えない。
FC Nordsjaelland 0
Lampardがキャプテン、Milkel、Terry、Hazardがベンチ、Cahill、Mosesが先発。
出だしの10分はチェルシーが完全にコントロール、点を取るのは時間の問題、簡単簡単と思ったら、その時間帯に点を取らないと苦労する、の典型。 段々Fc Nordがボールを廻して、チェルシーは決定機を作れないようになって来る。 それでも、一瞬Torresが前で相手DFからボールをもぎ取って、中央に走りあがったLampard、右から入って来たMataへのスルーパスで、きれいな先制。
しかし、これで堰が切れたかと言うと全然、後半もFc Nordの方が圧倒的に上手にボールを廻す。突き放すどころか、Cechのファインセーブのお世話になる始末。 情けない、前半の1点を守って逃げ込もうとするしかないのか、と苛立っていると、79分のフリーキック、蹴りたい蹴りたいのDavideがやっと蹴らせてもらったら、サイドポストを内側から直撃する見事なフリーキックで待望の追加点。 この2点目でFc Nordの糸が切れて、後は弱いもの苛めの3点目、4点目。
結果は4-0の圧勝のように見えるが、例によってチャンピオンとはとても言えない、弱っちい試合ぶり、何とかならないのかなあ。
この試合に限らず、中半もたつく時は、後ろでボールを持った時に、すぐに前にボールが出せず、DF間でボール回し、そこへ相手FWがプレスしてくると苛められっ子のようにズルズル下がって、Cechのロングフィードになるか、下手すると相手に取られてしまう。相手がボールを取った時には中盤でのプレスがないから、あっという間に自陣のゴール前まで押し込まれて、PKエリアに放り込まれてしまう。 いかに後ろがしっかりしていると言っても(たいしてしてないが)相手にプレスをかけられた状態でパスを廻していれば、パスミスから危険な位置でボールを取られる可能性が多くなり、中盤を省略してすぐに最後列だけで守ろうと放り込みやロングシュートを許していたら、ワンダーゴールを決められる可能性が出てくる。 対戦相手は一応皆プロなんだから、瞬間のタイミングが合えば、奇跡のようなプレイをするぐらいの能力は持っている。 バルセロナ相手に守れたのと同じことが他チームに通用すると思ったら大間違い。
Torresは重症。先制点のように得点に或いは攻めに貢献はしたが、5回は1対1或いはそれに近いチャンスを逃した。 それも空振りとか地面を蹴ったりとか、キーパーにパス(これはOn target仕様がないか)。 考えてみればDrogbaも似た様なもので、与えられたチャンスは結構ミスしていた。 ただ、Drogbaの場合、どこにもチャンスのないところから突然ゴールする意外性があった。 今のTorresにはそれがない。 チャンスボールが回って来ないともとても言えない。
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