このところ非チェルシーストーリーは訃報ばかりになってしまった。
しかも、訃報のほうがチェルシーものより圧倒的にこのブログへの訪問者が多いのだから、複雑な心境。
今年のグラミー賞ではビートルズがアメリカに上陸して50周年(エドサリバンショーへの出演1964年)ということもあり、マッカートニー、リンゴ・スターの二人が特別表彰された。
ビートルズが日本へやって来たのはその2年後、1966年のことだった。
その頃、片方ではフォークソングリバイバル、フーテナニーブームがあり、ボブ・ディランがニューポート・フォークフェスティバルに出演したのが、63年~65年だった。
ロック界、その後の若者、カウンターカルチャーにとってエポックメイキングだった二つの事件から、ほぼ半世紀が経過したことになる。
65年のニューポートフォークフェスティバルで、ポール・バターフィールド・バンドをバックに大音響のマギーズ・ファームを演奏して、ボブ・ディランは観客から激しいブーイングを浴び、演奏を続けられなくなった。
そんな若いディランと観客をとりなしたベテランのフォークシンガー、Pete Seegerが先月28日亡くなったと報じられた。 94歳だった。
英国BBC放送(TV)は、午前中は”「花はどこへ行ったの」、「天使のハンマー」の作者で知られるPete Seegerが亡くなりました。”と、白黒の「花はどこへ行ったの」を歌う映像をバックに15秒ぐらいのニュースで伝えた。
午後になると、映像は変わらないまま”「Turn Turn Turn!」や「天使のハンマー」の作者で知られる”に変わった。 「花はどこへ行ったの」はロシアかどこかの民謡を採譜したもので、歌詞は共作だし、作者と言うのは適切ではない、と電話した人がいたのかもしれない。 (日本みたいに。)
これが夜のニュースになると”「花はどこへ行ったの」を歌ってで知られる”に変わり、
バックも白黒映像に加えて公民権運動のデモの写真、比較的最近のフェスティバルの写真等が加わって、時間も1分余の扱いに増えた。
ルー・リードの時の扱いに比較すると午前中は時間が短いように感じたが、ルー・リードは夜のニュースだけで見てそう感じたのかも知れない。 或いは、ルー・リードの方が、ロックとモダンアートと切り口が広かったのかもしれない。
日本でも「花はどこへ行ったの」の存在感は圧倒的で、世代は全く違うが日本人にはある意味とっつきにくい感じのある
ボブ・ディランより、一時期はお行儀の良い日本人に信奉者が多かったように思う。
個人的には、Pete Seegerにはどうも当時のフォーク界の歌声運動的教条的な側面がつきまとうような気がして、今一好きになれなかったが、奥さんが確か日本人、トシさんだったと思うで、なんとなく親しみがあった。
何よりもウイーバーズから非米活動委員会(a la デ・ニーロ、真実の瞬間、ハメット等)を生き抜いたことを思うと敬意を払わずには、おれない。
と、ここまで書いてきて思い出した、と言うか訂正。
ニューポートフォークフェスティバルでディランと観客をとりなそうとしたのは、PPMのピーター・ヤーロウで、ピートシーガーは楽屋でアンプの電源をぶち切ってやると喚きながら手斧を持って暴れていた、というのが伝説だ。
この逸話で教条的という印象を持ってしまったのかもしれない。
しかし、逸話というのはそれらしい故にあり得ないことが多い。 大体楽屋に斧があるわけはないし、Pete Seegerは工場労働者の代表格で見かけとは違って農夫サイドではなく、手斧を持ち歩くようなタイプではない。
BBCが代表作の一つとして採り上げた、Turn Turn Turn!(For everything there is a season.)は、ディランが切り開いた一つの分野と言われるフォーク・ロックの名曲としてDylan Childrenの代表のようなByrdsがヒットさせている。
ここには、教条的な面影はない、真の名曲だ。
また、時代が一つ終わった。
Pete Seeger, we've learned a lot form you.
Rest in peace.
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