もうすぐ終わりで、重なってやっているピカソの方が人気だが、ピカソは何となく想像がつくので、良く知らないモディリアニ展に行った。
モディリアニと言えば、青い瞳と異様に長い顔や首の印象が強く、絵からあまり楽しい印象を受けない。
若くして亡くなったこともあり(1884-1920)、どうせワガママでお金がない、パリの無頼派の貧乏画家だったのだろうぐらいに思っていたが、そのイメージは違っていたようだ。
確かに肺病で36歳の若さで亡くなり、その死の翌日に身重の妻が後追い自殺をしたそうだから、不幸だったと言えるのだろう。
しかし、彼の場合、早くして画商に認められ、裕福とは言えないまでも若い時から毎月の生活費は保証され、妻との間には子供もおり、必ずしも私生活が悲惨だったと言うわけではない。実際、初期の作品はセザンヌのようなタッチをベースに色調も暗いが、絵が本格的に売れ始めた死の直前の作品は明るく、ピカソ等との交流もあり、幸せそうに見える。
モディリアニは殆どが人物画で、展示の中にも人物画以外は1枚しかない。(風景画は生涯で4枚しか画かなかった、と。)しかし、いわゆる肖像画ではない。 初期の作品がモデルの写真とともに展示されているのを見ると、良く似ている。 似ていると言っても写真のように似ているわけではない。目元や鼻筋が誇張され、書かれた人間は、これ違うよと言いたくなるかもしれないが、第三者が見るとそっくり。そう、上手に画こうとはせず、あっ似ていると思われるように画きなさい。 似顔絵に近いのだ。
多くの裸婦像は、どう考えても楽しそうにも、それほど扇情的にも見えない。聞くところでは、画商に人間の肉体をもっと描いてはどうかと進められ、高いモデル代を払って、画いた、と。いわゆる愛人の類ではない。仕事としてのモデルだから、楽しい筈がないし、艶めかしくもない、そこにある人間の特徴をモディリアニ的にキャンバスに移しとった結果なのだろう。
奥さんの絵 1918年(死の2年前)幸せそう。 ヘタウマのようで、似ている |
晩年(年は若いのだが)の絵は色調も明るく、特徴のとらえ方にも幸せな雰囲気が出ており、従来の固定観念とは違ういい絵だと感心した。
大体、試合前から怖いよ怖いよと言っていたら90分守り切れるわけがない。だから3分で失点すると。もうお手上げ。ジエンド。ディ・マテオは11人で守ったが、何とか勝てるんじゃないかという見当違いの希望を選手たちは持っていた。コンテは、そんな希望を持ったら大敗するとプレッシャーをかけた。 チェルシーには何度も痛い目にあってきたバルサやメッシに自信をつけさせた罪は重い。
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