10月29日 キャピタルカップ 4回戦 Arsenal Away 0-2
いかにナビスコカップの友達のキャピタルカップとは言え、早起きしないとチケットはとれないだろうと思っていたが、お昼頃に電話してもチケットが取れた。 おや、皆敬遠しているのかなと思ったら、普通は多くても3,000人のアウェイ席が、今回は9,000人という大判振る舞い。 しかも、入場料は£10、エミレーツはプレミアの中でチケットが一番高いと指摘されていたので、こんなところで辻褄を合わせていたようだ。 まあ、いかにArsenalとは言え、カップ戦に6万人集めるのは辛いということもあるだろうが。
とは言え、チェルシーは前試合からメンバーを全員変えてのぞむだろうが、アーセナルはかなり本気でやって来るという噂で、そうなると、結果はやばいかも、見るに忍びないかもしれないなあ、と不安を抱えて行ったところ、いやあ、面白かった。
10ポンドで得られるエンターテイメントとして、最高。 これで10ポンドは安い。
でもさあ、Arsenalファンは10ポンド出して、Miseryを買ったみたいで、可哀想。
うふふ。
平日の夜の試合は土曜や日曜と違い、キックオフ直前に人が殺到するので、入り口が混みあう。
スタジアムには5分前くらいに着いたが、まずプログラムが£3.50と、ふざけんじゃないよ、£3.0じゃないのか、おまけにお釣りの50pが切れたと。
メンドークサイから50pぐらいやるよ。 (と言うわけで、正確には£10のエンターテイメントではなく£14のエンターテイメントでした。)
キックオフになっているのに、全然列が前に進まない。 その雑踏の中でせっかく買ったプログラムは落としてしまうし(どっちみちアーセナルのプログラムなんていらねーよ)、20分遅れぐらいでようやく場内に入れた。
Arsenalの方が僅かにボールは支配するが、ペナルティエリアに侵入するのはチェルシーの方で、アーセナルの攻めにはエッジがないんだよ、エッジが、ウンウン。 エシアンじゃないよ、エッジだよ。
と、言うわけで27分ぐらい、一昨日John HartがやったことをFabianskiがやってしまった。 Johin Hartの場合は飛び出してきてバックッパスのヘッダが頭上を超えて行ったのだが、今回はバックパスのヘッダに飛び出しをためらって、遅れたところにアズプリクエタが飛び込んで、ボールをネットの方へ転がした。 しかし、fullBackのアズプリクエタが何でこんな前にいたのかは、誰にも分からない。
アーセアンルはウィルシャーやラムゼイのレギュラー出してしたが、ゲームメーカーはロシツキー。このロシツキー結構上手で何故か好感を持っているのだが、一線級に入るとちょっと足りない。
若いチェルシー相手でもやはり足りない。所詮はBクラスのチームのスタープレイヤーというのが妥当なところなのだろう。
今はチェルシーBチームにいるけれど、本来Aチーム所属のMata、後半ゴール前でシュートコースが空いたので「撃て!」と叫んだのに一瞬ためらってシュートするタイミングを失ってしまった。 数分後、ゴールライン奥深く進入したウィランから戻ってきたボールに「撃て!」と叫んだのと、撃ったのが殆ど同時だった。 私の指示に従っていれば間違いないんだよね。 見事なシュート。これで試合は決まった。アーセナルはエジルやジルーといった先発選手も出してきたが、所詮チェルシーBチームの敵ではない。 一方、チェルシーはマタ、アスプリクエタとMorinhoの元でやや苦労している2選手の活躍で完勝。
これでMourinhoはWngerと9回対戦して一度も負けてない。
こんな結果は正直予想していなかったので、Rou LeedやNico或いは友達のプロデューサー、マジッシャンRichard Thompsonについてでも書こうかなと少し心積もりしていたので、写真だけ載っけておく。
英国BBCでは夜の7時と10時のニュースで1分半から2分ぐらい映像をを交えて報道していた。
さすがに、BBCは民度が高いなあと思った。
改めて
Rou Leed
Rest in Peace
YOu have been our torch for the Future.
イングランド、プレミアリーグのチェルシーFCに関するページです。
何を書いたところで、世界が変るわけではありませんが、物言わぬは腹膨るる業と言うわけで、ファナティックなファンの独り言です。
Chelsea Factory
水曜日, 10月 30, 2013
月曜日, 10月 28, 2013
10月27日 Present From John Hart
10月27日 対Man City (Home) 2-1
久しぶりのチェルシーらしい試合だった。
去年ならこんな試合は期待できななかった。
試合前、ChesleaがMan Cityに勝てる気がしなかった。 どう考えてもMan Cityの方が、Player to Playerで比較したら、戦力が上だ。 ChelseaのThree Amigoesが素晴らしいと言っても、Mata、Oscar、Hazardと Agurero、Silva、Yaya Toureの3人を比較すると現時点では重量感が違い過ぎる。 違うモノだとは言わないが、Chelseaは思春期でMan Cityは完成した大人ぐらいの差がある。 順当な予想以外しない面白みのないBBC, Marc Lawrensenの予想ですらホームのChelseaが1-2で負けることになっている。 大体、昨シーズン監督がManciniでなかったらMan Cityがリーグチャンピオンだった筈というのが、私の持論。
でも、フットボールは何が起こるかわからない、と言う期待は勿論あった。
出だし、メルセデス相手にスズキのようなChelseaが結構チャンスを作る。 トーレスが良く走り決定機も、でも前試合Schalke戦で覚醒したと期待するのは無理か、決められそうで決められない、何時ものトーレスも顔を覗かせる。
結局点がとれないまま、少し試合が落ち着いた30分過ぎ右サイドでトーレスが粘りに粘って、その上でゴールラインまで競上がってセンタリングが、見事にシャルラの足元へ、イージータップインで先制。 実質トーレスの得点と、トーレストーレスの大合唱。
前半はこの一点を守って、1-0。 しかし、後半開始3分後、スタジアムは突然サイレントのスロー・ムービーになってしまった。
後ろからのロングパスから、二人のセンターバックの真ん中を通って、静かに左サイドにアグエロが抜け出す。 角度のないところからセンタリングと思ったら見事なシュートがネットに突き刺さってしまった。 前半トーレスのシュートはバーを叩いたが、アグエロは静かにネットへ。 チェクは未だシュートが来ないと思い込んでいたのか、殆ど動かず。
この後は一進一退、時間帯によっては何時か取られそうという時間帯もあったが、Man Cityの攻めにさほど迫力もなく、スタジアム中が引分けかな、というムード。 まあホームとは言え、ManCity相手に負けなければいいかな、という感じ。
しかし、モリーニョだけは違っていた。 65分にランパードとシャルラを下げて、ミケルとウィランを出したのは、ランパードがカードを既に貰っていたことと、攻めと守りによりメリハリをつけるため、そして83分のHazardに代えてのEtoは未だ未だ点をとりに行くと言う意思表示。 86分に多少痛めたとは言え、アグエロを引っ込めたManCityとは気概が違う。
しかし、90分流石のモーリニョマジックも通用しないかったかなあ、と思い始めたところ、テリーの大きなクリアーがManCityの選手に当たって、Chelsea陣内へ戻ってきたのを、ウィランが前線へ、と言うより、単にウィラン蹴りだしたという感じ。 ManCity最後列のDFが大きくバウンドするボールをゴールに向いてどう処理しようかと考えていると、後ろからトーレスが突っ込んできたような気がしたので、キーパーへヘッドでバックパスと思ったら、突っ込んできたJohn Hartの頭を越えて、転々とゴール前へ、走り続けてきたトーレスがそのままでは右横に外れるボールの軌道修正して、決勝点。
ロスタイムに決勝点をプレゼントしてもらった。
まあ、こんなこともあるんだよなあ。
点が入った瞬間、モウリーニョは何を思ったか、ManCityとの間にある客席へ直行、観客にもみくちゃになった。
この行為に対しては挑発的だとして批判も。 モリーニョは気分を害したら申し訳ないと謝っていたが、そこには息子がいて息子と一緒に祝福したかった、と。
そう言えば、Cardiff戦では、相手キーパーのプレーについて、帰ったら一番でキーパーをしている息子にああゆうプレーはしてはいけないと話したという、あの息子だ。
写真では小柄な金髪の少年(青年?)のようだが、周りのファンが勘違いして大騒ぎ、特にあづき色のT-シャツを着たあほのイギリス人にヘッドロックされて、目的は果たせず引返してきたようだ。
非チェルシー・ストーリー
ここで、書くのには相応しくないような気がするのですが、「音楽家ルー・リードさん死去」と言うニュースがありました。
今年の3月頃から肝臓ガンの治療が思わしくなかったとありました。
「音楽家」という肩書きはどうも馴染めない。 例えば「ロックンローラーのルーリード」とか「ワンコードロッカーのルーリード」とか或いは「Andy Wahallの盟友ルー・リード Wont't you come home!」とか書けないものだろうか。 時代性を感じさせる意味では「前衛ロッカーのルー・リード」とか言うのがしっくりする。
80年代の初めから中盤突然活動が活発になる時期があって、1年に一回はNYで4日ぐらいの連続ライブを行っていた(Bottom Line)のに2年続けて行ったことがある。 サンフランシスコにもツアーで来た。 若いラッパーに取り上げらられたりもしていた。 One Codeで延々と続くロックンロールは味があるというか、退屈そのものでもあった。 フィビー・スノウのレコーディングを担当するような腕利きのミュージシャンを従えながら、ソロギターのパートなんて殆どないまま淡々と演奏していた。
70年代の一時期、私が帽子に拘ったのはRouの影響でした。
71歳。
Rest In Peace.
久しぶりのチェルシーらしい試合だった。
去年ならこんな試合は期待できななかった。
試合前、ChesleaがMan Cityに勝てる気がしなかった。 どう考えてもMan Cityの方が、Player to Playerで比較したら、戦力が上だ。 ChelseaのThree Amigoesが素晴らしいと言っても、Mata、Oscar、Hazardと Agurero、Silva、Yaya Toureの3人を比較すると現時点では重量感が違い過ぎる。 違うモノだとは言わないが、Chelseaは思春期でMan Cityは完成した大人ぐらいの差がある。 順当な予想以外しない面白みのないBBC, Marc Lawrensenの予想ですらホームのChelseaが1-2で負けることになっている。 大体、昨シーズン監督がManciniでなかったらMan Cityがリーグチャンピオンだった筈というのが、私の持論。
でも、フットボールは何が起こるかわからない、と言う期待は勿論あった。
出だし、メルセデス相手にスズキのようなChelseaが結構チャンスを作る。 トーレスが良く走り決定機も、でも前試合Schalke戦で覚醒したと期待するのは無理か、決められそうで決められない、何時ものトーレスも顔を覗かせる。
結局点がとれないまま、少し試合が落ち着いた30分過ぎ右サイドでトーレスが粘りに粘って、その上でゴールラインまで競上がってセンタリングが、見事にシャルラの足元へ、イージータップインで先制。 実質トーレスの得点と、トーレストーレスの大合唱。
前半はこの一点を守って、1-0。 しかし、後半開始3分後、スタジアムは突然サイレントのスロー・ムービーになってしまった。
後ろからのロングパスから、二人のセンターバックの真ん中を通って、静かに左サイドにアグエロが抜け出す。 角度のないところからセンタリングと思ったら見事なシュートがネットに突き刺さってしまった。 前半トーレスのシュートはバーを叩いたが、アグエロは静かにネットへ。 チェクは未だシュートが来ないと思い込んでいたのか、殆ど動かず。
この後は一進一退、時間帯によっては何時か取られそうという時間帯もあったが、Man Cityの攻めにさほど迫力もなく、スタジアム中が引分けかな、というムード。 まあホームとは言え、ManCity相手に負けなければいいかな、という感じ。
しかし、モリーニョだけは違っていた。 65分にランパードとシャルラを下げて、ミケルとウィランを出したのは、ランパードがカードを既に貰っていたことと、攻めと守りによりメリハリをつけるため、そして83分のHazardに代えてのEtoは未だ未だ点をとりに行くと言う意思表示。 86分に多少痛めたとは言え、アグエロを引っ込めたManCityとは気概が違う。
しかし、90分流石のモーリニョマジックも通用しないかったかなあ、と思い始めたところ、テリーの大きなクリアーがManCityの選手に当たって、Chelsea陣内へ戻ってきたのを、ウィランが前線へ、と言うより、単にウィラン蹴りだしたという感じ。 ManCity最後列のDFが大きくバウンドするボールをゴールに向いてどう処理しようかと考えていると、後ろからトーレスが突っ込んできたような気がしたので、キーパーへヘッドでバックパスと思ったら、突っ込んできたJohn Hartの頭を越えて、転々とゴール前へ、走り続けてきたトーレスがそのままでは右横に外れるボールの軌道修正して、決勝点。
ロスタイムに決勝点をプレゼントしてもらった。
まあ、こんなこともあるんだよなあ。
点が入った瞬間、モウリーニョは何を思ったか、ManCityとの間にある客席へ直行、観客にもみくちゃになった。
この行為に対しては挑発的だとして批判も。 モリーニョは気分を害したら申し訳ないと謝っていたが、そこには息子がいて息子と一緒に祝福したかった、と。
そう言えば、Cardiff戦では、相手キーパーのプレーについて、帰ったら一番でキーパーをしている息子にああゆうプレーはしてはいけないと話したという、あの息子だ。
写真では小柄な金髪の少年(青年?)のようだが、周りのファンが勘違いして大騒ぎ、特にあづき色のT-シャツを着たあほのイギリス人にヘッドロックされて、目的は果たせず引返してきたようだ。
非チェルシー・ストーリー
ここで、書くのには相応しくないような気がするのですが、「音楽家ルー・リードさん死去」と言うニュースがありました。
今年の3月頃から肝臓ガンの治療が思わしくなかったとありました。
「音楽家」という肩書きはどうも馴染めない。 例えば「ロックンローラーのルーリード」とか「ワンコードロッカーのルーリード」とか或いは「Andy Wahallの盟友ルー・リード Wont't you come home!」とか書けないものだろうか。 時代性を感じさせる意味では「前衛ロッカーのルー・リード」とか言うのがしっくりする。
80年代の初めから中盤突然活動が活発になる時期があって、1年に一回はNYで4日ぐらいの連続ライブを行っていた(Bottom Line)のに2年続けて行ったことがある。 サンフランシスコにもツアーで来た。 若いラッパーに取り上げらられたりもしていた。 One Codeで延々と続くロックンロールは味があるというか、退屈そのものでもあった。 フィビー・スノウのレコーディングを担当するような腕利きのミュージシャンを従えながら、ソロギターのパートなんて殆どないまま淡々と演奏していた。
70年代の一時期、私が帽子に拘ったのはRouの影響でした。
71歳。
Rest In Peace.
木曜日, 10月 24, 2013
10月19日 Cardiff (Home) 4-1、22日Schalke (Away) 0-3
風邪と怠け癖と適当な写真がないせいで、また書き込みがひどく遅れてしまいました。
調子は確実にに上向きなので(Chelseaもそうですが、風邪からの回復振りです)、気を取り直してマメニュースをいくつか。
開始5分の失点、前半32分の同点弾、いずれもコメディのよう。
翌日のTVでディオン・ダブリン(Ex Villa etc)が、ダヴィッドの適切なポジションはどこか、と聞かれてニコニコと「Anywhere only far from the defence line」(とにかくディフェンスラインからできるだけ遠い、どこでも)と答えていた。 足技は上手だし、回りも見えるしセンスがあるが、ディフェンスに置くのは危険が一杯、と。 そういう失点だった。
チェルシーの同点シュートは適法だったか、という質問に、勿論、何の問題もない、とニコニコ。 すると現役時代ニューキャッスル戦でシェア・ギブンがキックをしようと地面に置いたボールをキーパーの後ろからダブリンが蹴りだしてゴールのビデオが流れた。 確かにダブリンはゴールを認めたレフェリーの判断を支持するわけだ。
ダブリンのプレーは薄っすら覚えているような気がする。 あの時、ダブリンは少し痛んでゴールラインの後ろにいて、そこからキーパーのところに戻ってきたのだ。 たしかオフサイドじゃないか、という議論があったような気がする。 ただ、キーパーが地面にボールを置いて手を離していたのだから、キーパーチャージにはならなかったように思う。
ただ、Chelseaの得点は本来キーパーチャージでレフェリーの誤審という声のほうが少し優勢。
キーパがボールを地面についてバウンドさせたところを横からエトーが足を出してボールをかっぱらったのだが、ルールブックにはキーパーがボールを自分で上に投げて受取ったり、地面にバウンドさせる行為はキーパーがボールをコントロールしており、チャージしてはならないことになっているそうだ。 テンまりし損ねて横にはじけた場合は別だけど、あれは明らかにエトーさんが蹴りだしていたからねえ。
開始10分でゴールをプレゼントされた、Cardiff、いくらなんでも残り80分を守りだけで逃げ切ると言うのは(絶好調のChelseaでない限り)無理というもの。 にも拘わらず、リードして以降、一貫して時間潰しで逃げ込む姿勢。 同点になっても時間潰しは変らない。
だから、一旦堰が切れるともう止め様がないが、それはモリーニョ劇場の本格的な始まりだった。
後半、簡単に点が入らないと見ると、
58分 Mata → Oscar
秘蔵っ子のOscar投入、それだけでは足りない、皆とにかく点を獲るんだ!
63分 Bertland → Torress
DFを一人減らしても、FW Torressを投入。
66分 Eto 得点 2-1 効果覿面、Eto初ゴール
リードしたから、DFラインを4人に戻す。
68分 Eto → Asplliqueta
69分レフェリーがイヴァノビッチがスローインに時間をかけているのを注意されているのを見て突然激昂。
今まで、Cardiffが散散時間稼ぎしてきたのにろくな注意もしないで、Ivanovicがたった2秒もたついたからと言って注意するとはどういうことだ!!!
タッチラインから退場、スタンドに移るよう指示される。 (選手もファンもモリーニョが如何に各選手のこと、チームのことを真剣に捉えているかに感動。)
77分 Oscar 3-1 スタンドでファンに混じって一際喜ぶモリーニョ。 なんせ後半投入の秘蔵っ子が得点したのだがら。
82分 Hazard 4-1 まあ、おまけ。 Icing on the cake.
10月22日 チャンピオンリーグ グループステージ
対Schalke(Away) 0-3
好調な相手に苦戦が予想されたが完勝。
内田君良かったとは思うのだが、チェルシーにはかなわない、てか、トーレスのもう一歩でハットトリックの2得点が最大の話題という程度。
で、何で、古い映画シマロンかって? なんとなく。
恐らく中学生の頃に見たのだと思うが、誰と言ったのかは良く覚えていない。 未だ一人で映画を見に行くようなことは許されていなかったが、中学生になると大人料金になったせいか、父も兄姉もあまり連れて行ってくれなくなった。 次兄がグレン・フォードと子供の頃奈良公園で会ったと言って、グレン・フォードのファンだったから、兄と一緒だったのだろうな。
シマロンはとにかく一箇所に定住できない男で、家族の苦労も省みず、開拓地、フロントラインへ行ってしまう。 自分が将来シマロンのように自由に生きることなんてないだろうな、とまだまだ思春期だったはずの自分はスケール小さく思ったものだが、、、、、
調子は確実にに上向きなので(Chelseaもそうですが、風邪からの回復振りです)、気を取り直してマメニュースをいくつか。
開始5分の失点、前半32分の同点弾、いずれもコメディのよう。
翌日のTVでディオン・ダブリン(Ex Villa etc)が、ダヴィッドの適切なポジションはどこか、と聞かれてニコニコと「Anywhere only far from the defence line」(とにかくディフェンスラインからできるだけ遠い、どこでも)と答えていた。 足技は上手だし、回りも見えるしセンスがあるが、ディフェンスに置くのは危険が一杯、と。 そういう失点だった。
チェルシーの同点シュートは適法だったか、という質問に、勿論、何の問題もない、とニコニコ。 すると現役時代ニューキャッスル戦でシェア・ギブンがキックをしようと地面に置いたボールをキーパーの後ろからダブリンが蹴りだしてゴールのビデオが流れた。 確かにダブリンはゴールを認めたレフェリーの判断を支持するわけだ。
ダブリンのプレーは薄っすら覚えているような気がする。 あの時、ダブリンは少し痛んでゴールラインの後ろにいて、そこからキーパーのところに戻ってきたのだ。 たしかオフサイドじゃないか、という議論があったような気がする。 ただ、キーパーが地面にボールを置いて手を離していたのだから、キーパーチャージにはならなかったように思う。
ただ、Chelseaの得点は本来キーパーチャージでレフェリーの誤審という声のほうが少し優勢。
キーパがボールを地面についてバウンドさせたところを横からエトーが足を出してボールをかっぱらったのだが、ルールブックにはキーパーがボールを自分で上に投げて受取ったり、地面にバウンドさせる行為はキーパーがボールをコントロールしており、チャージしてはならないことになっているそうだ。 テンまりし損ねて横にはじけた場合は別だけど、あれは明らかにエトーさんが蹴りだしていたからねえ。
開始10分でゴールをプレゼントされた、Cardiff、いくらなんでも残り80分を守りだけで逃げ切ると言うのは(絶好調のChelseaでない限り)無理というもの。 にも拘わらず、リードして以降、一貫して時間潰しで逃げ込む姿勢。 同点になっても時間潰しは変らない。
だから、一旦堰が切れるともう止め様がないが、それはモリーニョ劇場の本格的な始まりだった。
後半、簡単に点が入らないと見ると、
58分 Mata → Oscar
秘蔵っ子のOscar投入、それだけでは足りない、皆とにかく点を獲るんだ!
63分 Bertland → Torress
DFを一人減らしても、FW Torressを投入。
66分 Eto 得点 2-1 効果覿面、Eto初ゴール
リードしたから、DFラインを4人に戻す。
68分 Eto → Asplliqueta
69分レフェリーがイヴァノビッチがスローインに時間をかけているのを注意されているのを見て突然激昂。
今まで、Cardiffが散散時間稼ぎしてきたのにろくな注意もしないで、Ivanovicがたった2秒もたついたからと言って注意するとはどういうことだ!!!
タッチラインから退場、スタンドに移るよう指示される。 (選手もファンもモリーニョが如何に各選手のこと、チームのことを真剣に捉えているかに感動。)
77分 Oscar 3-1 スタンドでファンに混じって一際喜ぶモリーニョ。 なんせ後半投入の秘蔵っ子が得点したのだがら。
82分 Hazard 4-1 まあ、おまけ。 Icing on the cake.
10月22日 チャンピオンリーグ グループステージ
対Schalke(Away) 0-3
好調な相手に苦戦が予想されたが完勝。
内田君良かったとは思うのだが、チェルシーにはかなわない、てか、トーレスのもう一歩でハットトリックの2得点が最大の話題という程度。
で、何で、古い映画シマロンかって? なんとなく。
恐らく中学生の頃に見たのだと思うが、誰と言ったのかは良く覚えていない。 未だ一人で映画を見に行くようなことは許されていなかったが、中学生になると大人料金になったせいか、父も兄姉もあまり連れて行ってくれなくなった。 次兄がグレン・フォードと子供の頃奈良公園で会ったと言って、グレン・フォードのファンだったから、兄と一緒だったのだろうな。
シマロンはとにかく一箇所に定住できない男で、家族の苦労も省みず、開拓地、フロントラインへ行ってしまう。 自分が将来シマロンのように自由に生きることなんてないだろうな、とまだまだ思春期だったはずの自分はスケール小さく思ったものだが、、、、、
日曜日, 10月 13, 2013
Mom, who outlived two world wars and reached to cyber age.
9月29日、母の満100歳のお誕生会のために日本に帰っていたので、Capital Cupのスィンドン戦は見逃し、スパーズ、ブカレスト戦は日本でTV観戦、Norwich戦は帰英翌日、こちらでテレビ観戦となった。
この間の成績は悪くなかったものの、今一ブログを更新する気になれないまま、数日経ってしまった。
スパーズ戦の引分けはAwayということを考慮すれば、結果は悪くなかったと思うが、ブカレスト戦、Norwich戦はスコアが示すほどすっきりした勝ち方ではなかった。
Norwich戦については、試合後モリーニョが、
「後半開始直後にBaが絶好のチャンスを逃した。 これはまずい、良くない兆候だと危機を感じたので、(病み上がりで攻撃的な)Hazardにアップするように指示した。 まだ勝ち越していたけれど、危機を感じたから。」と語り、翌日のある新聞では「モリーニョの(危機に対する)鼻がチェルシーを救う」と書かれていた。
確かに、後半同点に追いつかれ、交代で入った二人がそれぞれ得点して、3-1だから、モリーニョさすが、と言うことになる。
しかし、前半から何度もチャンスを作りながら1点どまり、後半も押してるとは言え決められない状態では、スタジアムの全てのアゥエイファン、テレビの前の全てチェルシーファンは、その内「来るぞ来るぞ」と不安を覚え、失点したとたんに、「ああ、やっぱり」「だから言っただろう、決める時に決めないと」と叫んだいたに違いない。
言い換えたら、素人でも予想できるような試合展開で、モリーニョはその準備をしていたに過ぎない。
モウリーニョの采配は良く褒められるが、難しいことは何もしないのがモウリーニョの好かれるところで、偉いところだと思う。 素人ファンでも予想できるような、或いは理解できる采配であり、それゆえ、プレイヤー全員の意思統一が図りやすく、プレイヤーがランパードの指示のもと一つになって、戦うことができ、サポーターの心も一つになると言うことだ。
訳のわからない指示や交代で自己主張しようとする(俺はお前らとは違う、と)AVBやベニテスとの違いはここにある。
その上で、結果を出して、ほら俺のいうことを信じていれば間違いはないんだ、と言うのが、モリーニョマジック。
Mataはスィンドン戦で名誉回復したようで、ここへ来て続けて起用されている。
しかし、いま一つキレがみられない、というか、Mataの持ち味は安定したプレイであって、切れきれのテクを披露するようなプレイヤーではないからだと思う。 そう言う意味では、ロッベンやダファーより、或いはジョーコールより、ランパードに近いのではないか。
途中交代で得点したHazardとWilanはともに切れきれのテクで試合を変える力を持っている。 頼もしい限りだが、彼らが一試合安定したプレイを見せられるかと言うと、疑問。 素晴らしいプレイをした翌試合、徹底的にマークされて何もできない、というようなことが結構、起こり得る。
起用方法は結構難しい。
モーリーニョ体制で行き場を失っているのが、アズプリクエタだ。 イヴァノヴィッチの最近の貢献ぶりを見れば、仕方ない気もするが昨シーズンは一貫して左サイドを定位置として確保していたことを考えると、かわいそうな気もする。
ところで、母が100歳になった。 二つの世界大戦を乗り越え、高度成長時代を生き抜いてきた。
4人の子供がいて、その配偶者が5人(二回結婚した奴がいる)、孫が6人(2人づつに一組子無しがいる)だが、ひ孫は3人しかいない。
孫がいる3家族のうち、一組は2人とも2回結婚して双方合わせて3人の子供がいるが、一組は2人とも未婚、もう一組は一人だけ既婚だが子供はいない。
子供は平等に育てたつもりでも、4人の子供の家族構成が見事にバラバラに統一されている。
母は自由にのびのびと生きるように子供に進めていたから、かな。
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